山手線の池袋と大塚の間あたりに場末の歓楽街がある。
今にも潰れそうな飲み屋だの、梅毒まみれの頭の悪そうな年増しかいないピンサロなんかが肩を寄せ合いながら細々と営業しているような酔いどれ小路。
その片隅に、「スナック・スフラン」がある。
ドアを開けるとカウンター8席分しかない小さなバー。
カラオケすら設置していない。
堂々たる体躯のママさんと、決して可愛くは無いが愛嬌だけはあるホステスのみっちゃんの2人でやっている店だ。
みっちゃんは、実はママさんの娘なのではないかという噂もあるが、誰もそんな事は聴けない。
カラオケの無い、ショットバーに毛が生えたようなスナックが、何故まがいなりにも細々と営業を続けられているかというと、これはひとえにママさんの存在に尽きる。
怖いもの見たさの心境というか、一回見たら忘れられない強烈な個性が、ママさんにはある。
ある日、例によって私と常連2人がスフランで管を巻いていると、珍しく一見の客が入ってきた。
その男は、ママを見た瞬間に、何故か不思議な顔をした。
一般的に、普通の人がママさんの顔を見ると驚く。なんと言うべきか解らないが、まあ、大抵の人は驚くであろう。
非常に悪意のある言い方をすれば、ママさんというのは、その外見で見ると、人間と染色体が一本違う霊長類の方に似ているのであるからだ。
直截に言えば、猿のような顔立ちである。そこまであからさまに言い切っては失礼にあたるか。
だから、普通はじめての客がママさんを見た時の反応は、推して知るべしなのであるし、そんなことはママさん自身も口には出さないものの、重々承知している。
だが、その男の反応は、猿を見てビックリする男の顔ではなかった。
男は、カウンターの隅に腰掛け、ビールと枝豆を頼み、一息ついてのち、おもむろに話はじめた。
「ママさんって、誰かに似ているな」
「ええ〜ッ、そうですか?」
「入ったときにひらめいたんだけど、それが誰だか思い出せないんだよ」
「私は藤原紀香に似ていると思ってるんですよ」
ここで常連が飲みかけの酒を思わず吹き出すのはお約束だ。
「うーん、別の人だなあ」
男は、笑いもせずに真剣に返答している。
しばらく考えていたが、思い出せそうにもなく、やがて男は我々常連とみっちゃんの馬鹿話に聞き入り、たまに一言ふた言、会話に加わってくる感じで、ママが誰かに似ているという話は、そこでお仕舞いになってしまった。
2時間くらい飲んだであろうか、男がお勘定と言って席を立った。
愛想の良いみっちゃんが勘定をしながら声をかける。
「お客さん、お近くだったらまた来てくださいね」
「いやあ、そうしたいのは山々なんだけど、今度転勤でね、大阪の方に行ってしまうんだ。」
「あらあ、それは残念。でも、東京に来たら、また来てくださいね」
「約束するよ。そうそう、ところでママ、あなたが誰に似ているか今思い出したよ」
「マア!誰に似ているのかしら?」
「サイハタリ」
謎の一言を残して、男は店を出て行った。
しばらくの間、スフランでは「サイハタリ」という謎の言葉の意味を探るので盛り上がった。
「サイハタリなんて、絶対外人の名前よね?」
「あれかな?第一次世界大戦の時の女スパイ」
「そりゃ、マタハリだろ?」
「マタハリと聞き間違えたのかしら?」
「なーい。なーい。絶対ない。」
結局、謎の言葉「サイハタリ」の意味は判らず、そのまま数年が経過した。
そして今日、私はその謎の言葉「サイハタリ」の真実に直面して、感動している。
これは確かにスフランのママだ。
では、最後にママとサイハタリの写真を公開しよう。