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●2001年宇宙の旅

cover ワーナーホームビデオ
1968年製作:アメリカ
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【難解な後半をどう解釈するか?】

難解と言われる。まあ、最初に見た時は、何が何だかさっぱり解らなかった。
序盤、延々と続く原始人の物語。「恐竜100万年」を見てるのかと思ったぞ。

難解かつ印象的なラスト30分。迂闊にも眠たくなるところで、光のフラッシュ。
このコラムを書くために見直したら、このシーンでポケモン事件を思い出した。
ヨタ話はこれくらいにしておこう。

この映画にはいろいろなストーリーが隠されているという。
話の骨子は、3つのモノリスの謎、コンピュータHALとボウマン艦長との戦いに分けられる。
どう解釈するかは、人によって異なる。ある人の意見は、また別の人の意見と異なる。
それを違うというのは愚だ。映画にはそれぞれの受け取り方があっていい。よしんば、製作者の意図するところと全く違った解釈になったとしても、それはそれで構わない。詠会のようなものですな。

そういう事が良く解る映画だ。

何度も見ては、いろいろと考えた。モノリスの謎の意図。なぜHALは狂ったのか?いや、狂ったのではないのか?最後の赤ん坊はいったい何者なのか?あれはボウマン艦長なのか?そうではないのか???

一般的な解釈としては、次のような見解が成り立つ。

原始時代の太陽系に高度な文明を持った宇宙人?が現われ、3つのモノリスを設置する。ひとつは、地球上に設置される。人類に知恵という能力を与える為だ。知恵を授かった人類の祖先は、骨を武器として使用することで、文明の第一歩を歩み出す。
骨を武器として、同族の敵を倒す。その骨が空中高く投げられると同時に、何万年もの時間を超越し、宇宙船となる。

月発掘調査を行っていた人類は、月面の地底深くより、第2のモノリスを発見する。
このモノリスは太陽光線を浴びる事で、木星に向かって信号を発し始める。
地底に埋められたモノリスが太陽光線を浴びるということは、誰かが掘り出したという事になる。それは、第1のモノリスによって文明を発達させてきた地球人が月面に到達するまで進化したことの明かしである。(この解釈は、私個人としては納得いかない。だって、他の地球外生命が掘り当てる事もあるだろうし、地殻変動や隕石の衝突などで表面に出てきちゃう事もありえるだろう。まあよい。)

第2のモノリスから木星に向かって信号が発信されている事に気づいた人類は、それを突き止めるために調査船を派遣する。
HALは、正しく人類を第3のモノリスに派遣するために、本来の航行意図を隠し、それゆえに狂ったと解釈されている。(本当かなあ?ちょっと苦しくない?)
木星軌道上に設置された第3のモノリスは、調査にやってきた地球人を捕獲する。
そして光の洗礼を与えられた人類(ボウマン艦長)は、その光の中で全ての宇宙の生命の謎をフラッシュバックのように見せられる。(このシーンはSTARTREK THE MOVIEでMr.スポックがヴィジャーと精神接触するシーンに似ている。余談)
この洗礼こそ、宇宙へと進出した人類を異星人の元へ招き、新たな進化の階程を踏ませるためのワープゲートにほかならなかった。
ワープゲートを越えたボウマン艦長は急激に老化し、肉体が滅びる代わりに精神生命体スターチャイルド(コスモゾーン?)に昇華する。
人類に知恵と文明を与えたのは、このスターチャイルドを誕生させるためだったのだ。

多くの人が語り、通説として認められているのが、上記のストーリーである。
いくつかチャチャを入れたとおり、私自身この説明には、いまいち納得がいかない。特にHAL対ボウマン艦長の戦いが完全なサイドストーリーとなってしまっている所が面白くない。まあ良かろう。

特に、2010年などという続編原作が執筆され、さらにその映画(駄作)なんかも作られてしまったため、解釈の幅が狭くなってしまった事は非常に残念である。
2010年は、2001年宇宙の旅のひとつの解釈であり(如何に原作者の意図どおりであったとしても)、これをもって正しい2001年宇宙の旅の解釈であると決め付けることは出来ないだろう。
アーサー・C・クラークの原作では、これ以後も「2061年宇宙の旅」、「3001年終局への旅」が執筆されるが、どうしても「悪魔のどくどくモンスター・おら東京さ行ぐだ」とか「スーパーグレートマジンガー対ZZZガンダム∀」とか「ロッキー18:養老院での最後の戦い」っていう感じのノリで全然面白くない。柳の下に4匹も泥鰌は居ないのである。(一応、真面目に全部読んだ上での意見である、念のため)

映画が原作を超えてしまうことは、しばしばある。この2001年宇宙の旅は、まさにそんな映画のひとつと言えるのではないだろうか。
原作を超えてしまうと、原作に書かれている(あるいは映画で示されている)矛盾点を好意的に解釈し、矛盾でなくなってしまったりする。こういう深読みというのは邪道なのかもしれないが、日本人というのは全体的に深読みするのが大好きなようだ。
深読みの典型として、いくつか面白い説があるようだが、ここでは紹介しない。

ところで、今にして思えば、この映画は随分皮肉な映画になってしまった。
パンナムは潰れてしまうし(パン「ナム」じゃなくてパン「ルナ」にでもしとけばよかったのだ。でも、シャレになってないよなあ・・・)、東西冷戦も過去のもの。TV電話なんてものは一向に出来ない。代わりに携帯電話だ。宇宙旅行の夢も、まだまだ遠い未来の話である。

さて、いいたい放題書いたので、おまえの意見はどうなんだ、と言われそうだが、実は私の解釈とか意見というようなものは無いに等しい。2001年宇宙の旅は、見たとおりの映画である。というのが結論だ。
色々自分なりの解釈を考えることも良かろうし、完全なるエンターテイメントとして鑑賞するだけでも良いだろう。それだけでも充分楽しめる映画であることは間違いない。少なくとも、私にとっては「地獄の黙示録」の最後30分よりは眠たくない。
この名作がなんと1500円で視聴できるのである、DVDさまさまである。