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●たまねぎたまちゃん / 赤塚不二夫

風讃社発行 愛蔵版
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【単行本にならなかった幻の赤塚作品】

我々昭和30年代生まれにとって、ギャグマンガといえば赤塚不二夫か藤子不二雄でした。
藤子マンガが、どちらかと言えば大人しく、ある意味教育的だったのに対し、赤塚マンガは天才バカボンに代表されるとおりナンセンスの極みでした。子供心には、真面目な藤子マンガより、ナンセンスな赤塚マンガの方が絶大な支持を受けていたように思います。

今の人たちには理解不能でしょうけれども、赤塚不二夫の影響力といったら、凄いものがありました。なんたって、あのゴジラに「シェー」をさせてしまう位ですから、知名度・人気度ともにピカイチであったように思います。
その、赤塚マンガの中で、ある意味非常に特殊なマンガと言えるのが、この「たまねぎたまちゃん」です。初出後37年間、単行本にもならず、一度だけ全集に入っただけという、幻のマンガであると同時に、いわゆる赤塚らしい毒があまり見られないマンガなのです。

「毒が無い」というと、何だか詰まらないマンガのように聞こえてしまいますが、今回復刻されたこの本を熟読してみると、平凡で地味ながら非常に練られたストーリーと、丁寧に書き込まれた絵と色に見入ってしまい、さすが赤塚不二夫と唸らずにはいられない感銘を受けました。
現在の目で見ると、「小学一年生」という雑誌の性格上、非常に制約を受けながら書いている事が良く分かります。
一年生の子供達にも分かる平易な内容でありながら、全く飽きを感じさせないのはさすが赤塚不二夫。特に一番ノッていた時期だけに、なおさらその内容の完成度には舌を巻きます。

野菜を擬人化するという試みは、既にNHK人形劇の「チロリン村とくるみの木」で実現されており、リアルタイムでこのマンガを読んでいた私には、何だかチロリン村の延長のような気がしていました。そういったオリジナリティの欠如が、長い間赤塚マンガの中でも日の目を見なかった理由のひとつなのかもしれません。
絵は確かに赤塚不二夫のものですが、内容的には藤子マンガのような印象があり、それが毒の多い赤塚マンガの中で印象を弱めてしまっているような気がします。しかし、じっくり読んでいくと、藤子マンガとの決定的な違いが見えてきます。

赤塚マンガには一貫した哲学があります。
赤塚不二夫の血液型がO型であるかどうか定かではありませんが、彼は「いつもさみしい」のですね。それが赤塚マンガの哲学として、紙面上に現れて来ます。
たとえば「たまねぎたまちゃん」では、さみしさの裏返しである「自己中心的」という事に関して徹底して否定する内容となっています。自分の車が好きで、いつもピカピカに磨いている夏みかんさんは、運転が乱暴で皆に迷惑をかけていますが、ちっともそれを反省しません。たまちゃんたちは、夏みかんさんを懲らしめようと、彼の乗っている車ごと水溜りの中に飛び込ませてしまいます。びしょぬれになった夏みかんさんの車は、もうスピードを出すことが出来なくなってしまいました。

このエピソードなんかを見ても、自己中心的で自分の事さえ良ければ良いという考え方を徹底的に否定するものであり、それを子供達にもわかりやすく説明しています。

また、いじめ役のとんかり君が、たまちゃんたちをいじめようとして、ビックリ箱を買ってクリスマスプレゼントにするのですが、それを受け取ったたけのこおじさんが機転を利かしてビックリ箱をケーキにすりかえます。とんかり君は、たまちゃん達がプレゼントにお礼を言うのでビックリします。しかし、たけのこおじさんが、プレゼントをケーキにすりかえた事を知って、逆に泣いて喜びます。とんかり君も、本当はみんなとクリスマスを楽しみたいのです。

とんかり君も、たまちゃんも、夏みかんさんも、実は赤塚不二夫本人のうつし身なのでしょう。いじめッ子のとんかり君は、実はとてもさみしい。しかし、さみしさを素直に表現できないからたまちゃん達をいじめるのです。赤塚マンガには、こういった敵役の猛烈な悲しみ、さみしさというものが表現されているのです。

赤塚マンガのキャラクター達には、とてもさみしいキャラクターが居ます。
ニャロメにしても、ココロのボスにしても、目玉のつながったおまわりさんにしても、彼らが主役になったエピソードはとても悲しいものがあります。それは赤塚不二夫の悲しさ、さみしさを代弁しているのでしょう。
現代社会では、「いじめ」を徹底的に否定しています。確かに「いじめ」は悪いことかもしれませんが、人は何故「いじめ」を行うのか、という事について、もっと真剣に考えて欲しいと思っています。「いじめられっこ」を擁護することばかりで、「いじめっこ」の心理や考え方に関しては軽視されているような気がしてなりません。たまねぎたまちゃんには、それら「いじめっこの心理」が明確に書かれています。

「いじめっこ」でも友達だから、困っているときには助けてあげる。という、子供社会の基本的ルールなどにもきっちりと言及しています。しかも赤塚不二夫独特の「強烈なギャグによる照れ隠し」がありません。従って、彼の哲学が比較的ストレートに表現されています。
「もーれつア太郎」のニャロメは、赤塚マンガの中ではピカイチにさみしいキャラクターです。それを隠すために擬人化した猫を使い、「北海道のケイコちゃん、俺とケッコンしろニャロメ!」と叫ばせるのですが、この叫びを普通のキャラクターにやらせたら無茶苦茶さみしいですね。赤塚不二夫は、ニャロメという強烈なキャラクターを使うことで自らの主張をギャグで照れ隠ししながら書いているのです。子供はそれを表面上だけで捉え、おかしな口調を真似るだけですが、赤塚マンガは大人になって読み返すと、その深い哲学的内容に驚愕させられることがあるのです。

しかし、「たまねぎたまちゃん」には、そういった強烈なギャグが無い分だけ、赤塚不二夫の主張がストレートに表現されているように思います。
従って、子供達のみならず、多くの大人たちにも読んで貰いたい作品だと、今回改めて感じました。
これでいいのだ。