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●姑獲鳥の夏

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2005年:日本ヘラルド映画
監督:実相寺昭雄
原作:京極夏彦
脚本:猪爪慎一
出演:堤慎一・永瀬正敏・阿部寛・原田知世・田中麗奈・いしだあゆみ他

【やはり映画は脚本に尽きる】

久々の日本映画である。(と言っても、さほど映画を見ているわけでもないのだが)
映像化は不可能と言われた京極夏彦によるミステリの超大作「姑獲鳥の夏」を、あの実相寺昭雄が監督した、という事で、それなりの興味を持って観たわけであるが・・・

やはり映像化は困難であった。

というのが正直な感想である。
まず何よりも興味を持っていたのが、延々と続き、小説の半分近くを占める「京極堂」による妖怪解説、仮想現実に対する解説、その他諸々の圧倒的な文章の山をどのように映像化するのか、という事であった。
見事にすかされた。
端折りすぎである。
これでは原作を読んでいないと散漫すぎて内容がサッパリ分からない。

所詮、あの圧倒的な文章の波を映像化するのは如何に実相寺とは云え困難であったという事か。
否、元々実相寺は文章を映像化するという行為が得意な方ではない。
文章の映像化に腐心したであろう痕跡は映像のあちこちに垣間見られるのであるが、それが却って仇になっている。
破天荒が売りものの実相寺節が生きていない。

数々の印象的なシーンが削られている。
冒頭のシーン。原作では京極堂と関口の難しいながらも突飛な比喩を使うことで軽妙なやり取りになっている会話のシーンが、京極堂の一方的な弁舌のみで終わっている。
これは脚本家が悪い。あの会話の応酬なくして京極作品の面白さの1/3はスポイルされると言っても過言ではないからだ。
しかも大幅に内容を端折っている。元々小難しい内容であるからして、映像で理解させるのは困難だと言えるが、細かい状況説明のカットを交えるなどすれば観客に理解させる事は充分に可能なはずである。
それを怠った。これでは京極ワールドには片足どころか小指の水虫さえも突っ込めない。

従って、原作を未見の観客には何が何だかサッパリ分からない不思議な映画になってしまったのではないかと思う。
言うに事欠いて「世の中に不思議なことなど何もないのだよ」と来たもんだ。この映画自身が不思議なんですけど。
フシギ映画=実相寺のお家芸だもんねえ。そのあたりの齟齬が、どうにも消化しきれていない印象を受けた。

最も期待していた「死体が突然目の前に現れる」シーンも、ありきたりのものでしかなかった。
衝立が倒れてじゃじゃじゃじゃーん、というのは如何にも安易。
確かに原作にも衝立はあったが、それは妊婦と死体を隠すように立てられていたものであって(それは映画にもチャンと登場していた!)、死体の前に屏風のような衝立がでんと鎮座ましましていたとは思えない。
京極堂の台詞「妙な結界が張ってある」というのも場違いな発言であった。館に入った時に言う台詞じゃないだろ?
これまた、脚本家のミスである。本をちゃんと読んでいないからこういう事になるのだ。

脚本がなってないのは、細かいシーンにも沢山現れている。
カストリ雑誌の出版社が稀譚社になっていたなんてのは論外だった。
しかも刑事に小突かれていた男はエンドロールを見た限りでは鳥口守彦のようである。それも全然違う。鳥口君は「実録犯罪」の記者だぞ。

文字が多い本だから、端折るのはやむを得ないとしても、端折りかたが悪い。端折ってはいけない所ばかり端折っている。
例えば、京極堂と涼子が初めて邂逅するシーンには、この小説の中の白眉とも言える会話がある。

「何、この家に巣くっているという悪いモノ・・・そう、ウブメ退治に来たのです」
「うぶめ?」
「よしなきものにおそれたりとて、人々大わらいしてかえりけるとぞ、ですよ」
「諸国物語ですね。確か巻の五・・・鶴の林うぐめの化け物・・・でしたか・・・」
「流石に能く御存じですね。不本意ながら私はそれに出てくる間抜けな侍の役どころですよ」
「斬りつけてみればただの五位鷺だ、とおっしゃるのですか。しかし、もしかしたら本物の化け物かもしれませんわ」
「どちらでも同じことです」(原作本より引用)

この洒落た会話が全部カットだもんなあ。京極世界を理解出来ていないモノの仕業としか言いようが無い。

最悪なのは、原作に無いシーンの追加であった。事もあろうに、久遠寺病院を全部燃やしちゃうのである。
流石は「怪奇大作戦」で京都の寺を燃やしちゃった実相寺監督。ここでもまた燃やしちゃったか!!

とにかく出来の悪い脚本に不満たらたらであったが、最後にキャストに関しても評しておこう。

意外にも役どころに合致していたのが、関口巽役の永瀬正敏。彼は全く関係ない理由で嫌いなのだが、この役どころはまあまあであった。
次に中禅寺敦子役の田中麗奈。凛とした女性記者の役としてはまさに適役と言えるかもしれない。
堤慎一の京極堂も頑張っていたが、どうにも和服が着こなせていない。それがしまらない。次回作があるとすれば、もうちょっと着こなしを頑張ること。
木場修役の宮迫博之は可哀想である。原作を読むと、どう考えても木場修のモデルは渥美清としか思えない。
読んでいると木場修=渥美清になっちゃうから、そのイメージを覆すのは困難だ。まあ、致し方ないか。

もっと悲惨だったのは榎木津探偵役の阿部寛。カッコ良すぎるんだよなあ。榎木津はもっと破天荒でなければ。
躁病的破天荒さを持った人形のような美男子というキャラクターはちょっと見当たらない。
敢えて探すとすれば豊川悦司かなあ?トヨエツは京極堂でも似合っているけどね。
まあ、今の役者さんで榎木津を演じられる人はそう居ないと思うから仕方ないかなあ?
例えば、いっそのこと宝塚の男役の人とかにやらせたら面白かったかもしれないと思う。

涼子/梗子役の原田知世。微妙である。悪くは無い。惜しむらくはちょっとトウが立ちすぎていたか。10年前の彼女だったらもっと合っていたかもしれない。

トウが立っていたといえば、いしだあゆみは婆さんになっちゃったね。それが物悲しいというか、時代を感じるというか。
すまけいの久遠寺老人は合格点。イメージでは大滝秀治なんだけどねえ。
しかし、この作品で一番存在感があったのは、看護婦(死体)役の三輪ひとみであろうか。
あの死体は素晴らしかった。
ほぼ死体だけで、他に演技らしきものは数秒しか無かったのにあの存在感である。
小細工の使い方が圧倒的に下手な映画であったが、この死体には大きな丸をあげよう。

京極夏彦本人が片腕の傷痍軍人(水木しげる役!!)を演じていたのは御愛嬌。
しかし、デビュー当時の面影のかけらの屑すらありませんね。多々良勝五郎先生かと思っちゃった。

まさか次回作があるとも思えないが、もし「魍魎の匣」も映画化するというのであれば、脚本はもうちょっと京極ワールドを知っている人にやって欲しいものである。