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●天国と地獄

cover 東映:1963年
監督:黒澤明
原作:「キングの身代金」エド・マクベイン
主演:三船敏郎、仲代達矢、山崎努

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【時代背景を考慮して見るべし】

日本におけるサスペンス・ドラマの傑作のひとつ。
製靴会社重役の権藤(三船敏郎)の運転手の息子が、重役の息子と間違われて誘拐される。
犯人(山崎努)は3000万円を持って特急「こだま号」に乗るよう命令し、予測も付かない方法で、まんまと身代金をせしめてしまう。
一方、誘拐された運転手の息子は無事に保護され、そこから刑事(仲代達矢)の執拗な犯人追跡が始まる。

エド・マクベインの名作「キングの身代金」を題材とした映画であるが、原作と同じプロットなのは「靴屋の重役」であることと「運転手の子供が間違えて誘拐される」こと位で、あとは殆ど黒澤の創作になっている。
原作というよりも、原案と捉えるべきであろう。

この映画が公開されるのと殆ど同時期に、「吉展ちゃん事件」という誘拐事件が起こった。
「戦後最大の誘拐事件」と言われたこの事件では、犯人の声をラジオ・テレビを通じて全国に放送するなど大がかりな捜査を展開。さらに当時の原警視総監が、報道機関を通じて「吉展ちゃんを返して欲しい」と犯人に異例の呼びかけをするなど、メディアを利用した捜査が目立った事件であった。
脅迫電話の東北訛から、福島県生まれの小原保(別件で前橋刑務所に服役中)が浮かび、3度目の取調べでついに自供する。
吉展ちゃんは誘拐された夜、荒川区の円通寺で殺され、墓地に埋められていた。殺害し墓地に埋めた後で脅迫電話をかけるなど、その残忍な犯行が世間の怒りを買ったのである。

そのようなあまりにもタイムリーな大事件が起こっている中、この映画は公開されている。
そういった世相も、この映画を鑑賞する背景として知っておいて損は無いと思う。

話を映画に戻そう。
黒澤の描く犯人は、人質の少年を殺してはいない。
公開当時、吉展ちゃん事件は解決していなかったが、人質を殺さなかったのがこの映画の救いである。
一方で、共犯の男女を麻薬で中毒死させるなど、残忍な性格を兼ね備えた犯人であるだけに、人質の子供を殺さなかった設定は黒澤の良心を表していると言えるだろうか。

犯人(山崎努)の住む下宿は、薄暗く狭く汚い三畳間。
その窓から見上げる丘の上に聳え立つ豪邸。
まさに「天国」と「地獄」だ。
しかし、子供を誘拐し、身代金をせしめる事で「天国」と「地獄」の立場は逆転する。
このあたりの対比の映し方は、まさに黒澤映画ならではのものだ。

間違えて運転手の息子が誘拐されたと分かってからの三船の逡巡がたまらない。
自分の息子じゃないんだから、身代金など出す謂われはない。
しかも、会社を買収して自分のものにするための重要な時期だ。
今、身代金を提供してしまうと、自分の人生が崩壊してしまう。
しかし、だんだんと払わざるを得ない状況に追い込まれていく。
前半のこの部分は殆ど室内劇なのであるが、重苦しい緊張感と重責を担わされた三船の逡巡する思いが錯綜し、非常に説得力のあるシーンとなっている。

特急こだま号の中のシーンが物凄く緊張感があって秀逸だ。
当時の「特急こだま号」151系電車は、客席の窓は開かないのだが、ただ一カ所トイレの窓だけが開閉可能だった。
電車の中に唯一存在する、わずか7センチの隙間からカバンを投下するという大胆な身代金奪取のアイデアも素晴らしいが、失敗の出来ない状況の中で複数のカメラを設置して一発撮りに挑んだ撮影陣の気合いがひしひしと伝わってくる。
酒匂川鉄橋を渡る直前で人質の少年を確認させ、渡りきった直後にカバンを投下させる。この間約15秒。合計で18台のカメラを回したという一発勝負は見事に成功した。

このプロットにより、犯人が複数であることが分かるのだが、原作で最も印象的であった、犯人と誘拐された少年の交流を完全にカットし、冷徹な犯人像を作り出している部分も良いと思う。しかも、この時人質を見せ、金を取った犯人は主犯ではなく共犯者で、二人とも主犯(山崎努)によって毒殺されてしまうのである。観客を犯人に同情させず、あくまでも冷徹な犯人像を作り上げる事に拘ったことで、ラストシーンがより一層生きてくるのだ。

この映画がモノクロで撮影されている明快な理由がある。
身代金を入れたカバンに特殊な薬を仕込ませておき、燃やすと桃色の煙を出して目印になるようにしているのだが、その煙が権藤邸から見下ろす町中の煙突から上がった時だけ、煙を鮮やかな桃色に着色したのである。
まさに犯人を追い込むキッカケとなるのであるが、このシーンを際立たせるためだけに全編をモノクロにしたのであるならば、これは物凄い効果を上げたといえるだろう。

犯人の電話の後で聴こえる電車の音。架線を擦る音が独特で、「こんな音を出すのはトロリーポールだけ、だから江ノ電だ」と推理する部分もまた素晴らしい。
151系の構造といい、ポールの架線音といい、この脚本作成に加わったメンバーの中には相当な鉄ちゃんが居るに違いない。

一方、中盤から後半にかけて、犯人を追い詰めていく場面は多少中だるみの感がある。
特に黄金町で麻薬を入手し、テスト的に麻薬中毒患者を殺害する部分については、もう少し端折っても良かったのではなかったか。
だが、麻薬患者が佇む不気味な黄金町のシーンは妙に印象深い。
現在の黄金町は別の意味で怖い所であるが、公開当時、本当にこんな環境の魔窟が存在したのであろうか。話半分としても強烈な印象を与えている。

ラストシーンも強烈である。
逮捕された犯人に面会する権藤。
果たして権藤は勝ったのか。あるいは犯人の方が目的を達した満足感に浸っているのか。
犯人は何故権藤に面会を求めたのか。
権藤を目の前にして語る犯人。次第に興奮していく。
そして犯人の絶叫で唐突に映画は終わる。
山崎努は、この映画が初出演なのだそうだが、物凄い存在感と演技力を感じる。
予告編では監獄の廊下を後ろ姿に去っていく権藤のシーンがあるのだが本編ではカットされた。
これは名演技を行った山崎努への黒澤明からのご褒美だと言われている。
素晴らしいラストシーンは、名優誕生の瞬間でもあったのだ。