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●グイン・サーガ / 栗本薫

ランドックの刻印 (ハヤカワ文庫 JA ク 1-119 グイン・サーガ 119)
栗本 薫
4150309159



ハヤカワ文庫

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【余裕で100巻越えの超大河ヒロイックファンタジー】

説明不要の大河小説。全100巻を目指していたが、楽勝で100巻を超えてしまった。
いつ終わるのか分からなくなってしまった。困ったモンである。
雀坊堂がこの小説と出会ったのは、まだ第1巻が刊行されて間もない頃であるから、恐らく最も古い読者の一人という事になるであろう。
背表紙のGUINSAGAの文字がローマ字で青地白抜きの時代からである。もちろん第1巻は改定前と改定後の両方を持っている。

などといきなりコレクターめいた話をしてしまったが、そうでもしないとこの本の書評は、そう簡単に書けるものではない。圧倒的な物量だから、あらすじを書くのは不可能である。だから思いついたままに書かせて貰う事にしよう。

栗本薫という作家は速記型である。かつて「栗本薫5人説」などという風評が立ったくらい、一人の人間が書ける量を遥かに超えた作品を乱発していくのだ。
敢えて「乱発」という言葉を使ったが、一冊400ページ近くに渡る原稿を毎月何本も書いてしまうというのは人間技ではない。本当にゴーストライターが何人も居るのではないかと思ったことがある。

ところが、以前NIFTYに参加していたとき、ひょんな事から栗本薫主催の「天狼パティオ」なるものに参加する機会を得て、その超人ぶりを目の当たりいして驚いた。
「パティオ」というのは要するに会員制の掲示板のようなもので、「天狼パティオ」には数多くの参加者がおり、比較的活発に発言が繰り広げられていた。
驚いたのは、その発言のほぼ全てに、栗本薫本人からのレスが毎日ちゃんと付いているのである。一日何十件という書き込みを読破し、御丁寧にもそれにきちんとレスを付ける時間は相当なものであるはずだ。
そんな一円にもならない事をしていながら、さらに本を大量に書き、舞台の演出を行い、果ては自ら演奏するコンサートまで開いてしまうというのだから、この人は本当に超人である。恐らく人並み以上の集中力があるんだろうな。注意力散漫で、このような書評が全く書き進められない私にとってはカミサマのような人である。

そのNIFTY SERVEも今年で終わり、天狼パティオも無くなってしまった。
私がNIFTYに加入していた期間は短かったので、天狼パティオに参加していたのも本当に一瞬といって良いほど短かったのであるが、何回か発言した内容に栗本氏からきちんとレスを頂いた時には柄にも無く感激した。
しかし、そのような作者との不用意な接近は、読者としてやるべき行為ではないと思ったので、それ以後ROM専門となり、数ヶ月の後には別の事情でNIFTYを解約する事になったので、天狼パティオともそれきりになってしまった。
パティオが無くなったから書いてしまうが、パティオ参加者は圧倒的に女性が多く、しかも途中から参加してきた「男性」を何となく排除するような空気を強く感じてしまった。
女子中心のファンクラブにありがちな図式で、しかもネットだから顔なんか完全に見えない。書いてる人の人となりが分からないので、様子見していると無視される。
無視というより、出方を見ているという感じだろうか。スルーされてるのだが、中身は読まれていて、しかも次に何を書くのか敏感に反応しているという感じがしてしまった。

常連さんと栗本薫との会話は良く分からないものがあった。何について話しているのかが良く分からない。隠語を使っているというわけではなく、単なる私的会話なのだなあ。
もちろん、そういう事を否定はしないが、そういう輪の中にずけずけと入り込んでいく勇気は無かった。ヘタに騒いで藪から蛇を出すことも無かろうという事で静観し、疎遠になっていったというのが正直なところである。
ま、私自身ファンクラブのようなものに参加するには向かない性格なので、相見互いというわけにはいかなかっただけの話なのかもしれないが。

話をグインに戻そう。
さすがに100巻を超えてくると、初期の作品との間に矛盾が生じてしまい、その収束に苦労しているのが痛々しいほど感じられる。口の悪い批評家は、全く校正していない駄作などと罵るようだが、ある程度の矛盾は我慢できる。
ただし、初期に刊行された外伝の「七人の魔道師」に書かれている矛盾点の収束は困難であろう。まだ、正史の方は「七人の魔道師」の時代に追いついてない(それも凄い話なのだが)のだから、いっそのこと「七人の魔道師」の方を書き直してしまえばよいと思うのは私だけだろうか。
ストーリーに変更の必要は無いが、ヤンダル・ゾッグとの邂逅の場面の矛盾点だけでも書き直しておいて欲しいものである。もし、その矛盾点を矛盾にしないためにグインの記憶を無くしたのだとすると、それはあまりにも痛々しい。

100巻を超えてなお、凄いと感じるのは、やはり物語の構成力であろう。普通の作家が書いたら1行で済む内容を2巻分にも3巻分にも膨らませてしまうという能力は、比類をみない。冗長と揶揄されようが、罵倒されようが、これはひとつの才能である。
そもそも、道端に咲いた一輪の花から壮大なストーリーを思いつき膨らませるのが作家の仕事である。そういう意味で、栗本薫はまさに作家なのだ。

一方、文句も多々ある。
特に栗本薫の「ヤオイ癖」には正直言ってウンザリだった。そういう趣向を忌み嫌うものではないが、次から次へと男色趣味では辟易する。実際問題、そのあたりから離れていった読者も少なくないようであるし。最近は一時期に比べてヤオイ度も減ってきた(慣れてきた?)ようである。ここしばらくの間はグイン中心の物語が展開しているので、旧来からの読者としてはこの流れはとても安心できる。(全100巻ともなると、10数巻に渡って主人公のグインが全然出てこないという異常事態が発生したりしたものなのだ。サイドストーリーが本編になっちゃっていた時期があったのである。)やはり、グインが主人公でなければ、この話は締まらない。
メインキャラクターの一人であるアルド・ナリスを殺した事で、暴走気味のヤオイ度にも歯止めが掛かったように思われるが、ナリスを殺すのは当初から決まっていたようだから、これは偶然なのかもしれない。

私は栗本作品が全て好きなのではない。だから全作品を読んでいないし、特にヤオイ度の高いものは敬遠している。
それでもグイン・サーガを読んでしまうのは、「業(ごう)」のようなもんだ。
100巻完結と謳ったのであるから、意地でも100巻で完結させて欲しかった。

この先、どこまで行くのか。

死ぬまでに終わるのか。

手塚治虫は、自らの死によって名作「火の鳥」を未完で終わらせてしまった。
多くの偉業を成し遂げてきた手塚の、唯一の汚点が未完で終わった「火の鳥」である。
名作であっただけに、未完で終わった事が残念でならない。
栗本も、手塚の二の舞を踏んではならない。
この作品は絶対に終わらせなければならない本だ。
30年近くも付き合ってきたのである。今更最終回を読まずして死ねるものか。
最終回を書かずして死なせられるものか。
途中で絶筆したら、地獄の底まで追いかけて続きを書かせるぞ。

***2008年3月加筆

2007年暮、著者栗本薫氏に癌が発見され、2008年初頭に手術を行ったとの事。
現在でも抗癌剤治療を行っているようですが、著者の回復を祈ってやみません。
いつ未完となるのか分からない状態で新作を読み続けるのは辛いものがあります。


***2009年5月27日加筆

栗本薫氏は2009年5月26日に他界されました。
この大作が未完で終わってしまったのは実に残念でなりません。