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●空白の五秒間-羽田沖日航機墜落事故 / 三輪和雄

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【これを読んだらもう飛行機には乗れないかも?】

羽田沖日航機墜落事故といえば「逆噴射」が流行語になったくらいの有名な事故であった。
その前日に、ホテル・ニュージャパンの火災があり、何か非常に不安を煽る事故でもあった。この本は、その墜落事故を扱ったドキュメントである。
冒頭の、事故発生後のドキュメントでは、当時の緊急出動態勢の脆弱さが浮き彫りになる。
特に、報道陣や野次馬より到着が遅れてしまった現地の医師団の方々の苦悩と困惑が興味深い。椅子に挟まった女性を救助するために3時間中腰で処置し続け、立ち上がれなくなってしまった医師のエピソードは感動的であるが、被害者の女性の反応が生々しい。生きることへの執着が無ければ助からない。しかし、それゆえ口から出る言葉は文章だけから読むと単なる我侭にも聞こえかねない。このようなドキュメンタリーを構成する上で、慎重に言葉を選ばねばならない部分かもしれない。

筆者は医師でもあり、医師の立場からドキュメンタリーを構成しているが、これが乗客側の立場から書かれていたらどのような内容になるだろうか。
ドキュメンタリーには、そういった二面性も必要であるというような事を感じた。

事故において、生死の境を分かつポイントをデットラインと呼ぶ。
この事故におけるデッドラインは、もぎ取られた機首部分の5列目の座席と、その後方の13列目の座席という2つのポイントがあった。
飛行機において、どこが安全か、などという問題は愚問であるが、偶然座った席が生死を分かつポイントになってしまうというのは、如何に運命のいたずらとは言うものの、あまりにも惨たらしく感じられてしまう。
飛行機事故における死因は、事故の衝撃によるもの以上に、水中に投下されてからの溺死が多いという事にも驚いた。椅子ごと空中に放り出され、そのまま着水してヘドロの水を吸い込み溺死しているのである。もし、シートベルトをしていなかったら助かったのか?などという問いは愚問であるとしても、事故の衝撃で脳挫傷などを起こして死ぬのならまだしも、海中に投げ出され、しかも腰ほどしかない浅瀬で溺死してしまうというのは、それが現実だと言い切るには悲惨すぎる。

この事件の原因は、機長の操縦ミスによるものである事が判明しているのだが、その操縦ミスの原因は「心身症」であると思っている人が多いのではないだろうか?事実、私もそう思っていた。
しかし、この本を読んで驚愕の事実に気がつく。機長は「心身症」などではなく、「精神分裂病」だったのだ。逆に言えば、「心身症」というのはストレスの蓄積で胃が痛くなったりするような誰にでも起こりうる病気であり、決して「逆噴射」の原因にはならないという事である。この本の怖いところは、そのような「精神分裂」を見抜けない日本航空のメンタルケアに関する管理方法にある。

後半、かなりのページ数を割いて、機長が罹患していく様子と、それを検知できない日航の管理システムの問題点が浮き彫りになっていく。
もちろん、その後ただちに管理システムを改善したようであるが、この本でも指摘しているように、その検査内容で十分かどうかは甚だ疑問である。先日も地下鉄で奇声を上げた運転手が勤務交代させられていたりしているので、公共の輸送機関に乗る事に一抹の不安を感じざるを得ない。昨今の耐震構造偽造問題にしても、結局チェック機能がチェックできていないから大事件に発展しているのだ。この構造は、そう簡単に直るものではないような気がしてしまう。

筆者は再三、精神医学には情報の収集が必要であると説いており、それは全くそのとおりだと思う。が、通常の会社などにおいても、「電波が来る」などの発言があれば、かなり疑わしいと思うのが通常の精神構造ではなかろうか。私の勤務するコンピュータの世界では、そのような紙一重系の人が少なくないので、余計に慎重になるが、逆に言えば「やばい」奴の発見は非常に早いし、それに対する対処も迅速だ。
しかし、この事件ではそういった機長の発言の中の「危険信号」を察知できず、結果として事件を引き起こしてしまう。日本において、精神病という言葉の持つ重みは諸外国より深いのではないだろうか。
機長も、かなり早い段階である精神病院の医者から「分裂病の疑い」があるという診断が出されているのに、それは全く無視されてしまった。
そして、そのような精神病患者を見抜けないメンタルチェックに何の意味があるのか、という問題を我々に投げかけてくる。

機長になるにはたくさんのハードルを越えねばならない。特に日本では諸外国と比較して何倍ものハードルを越えねばならない。しかし、それらのハードルが、分裂病患者を見抜く事に全く何の役にも立っていないというのは恐ろしい事実である。
事件から30年近く経過しており、それらの事は十分対応できていると思うのだが、しばらくは飛行機に乗りたくないという感じだ。

精神病に対する判断というのはかなり難しいであろう事は容易に推察できる。少ない情報だけで、やれ心身症だ、分裂病だ、鬱病だなどと判断するのは危険だし、どうしても軽く考えたくなるのが実情というものだろう。しかし、多くの人数を預かる公共輸送機関においては、むしろ厳しすぎるくらいの判断が必要なのではないか。

私事になってしまうが、私は色弱である。色弱という病気を持った人は、決して飛行機のパイロットにはなれない。当然のごとく、電車の運転士にもなれない。それは、色弱の場合、信号機の赤と緑の区別が付かない危険性があるからだ。しかし、色弱にも度合いがあって、全く問題が無い可能性もある。にも関わらず、色弱であるというだけで、無条件に運転士の資格は取れないのだ。
それは、それで良いと思う。
これは決して差別などではない。
そのような可能性を持った人を、公共輸送機関の運転手には出来ないという事である。
それは真っ当な判断であると思う。だから、私は電車の運転手になれなくても、飛行機のパイロットになれなくても文句は無い。
それと全く同様に、少しでも精神的に問題がある人を、公共輸送機関の運転手なりパイロットなりにする事は危険だと思う。

精神病の完治が、何をもって直ったというのかは分からないが、少なくとも分裂病の疑いが少しでもあれば、パイロットの資格は剥奪されるべきではないだろうか。心身症なり、鬱病なりに罹患してしまったのならば、治癒するまで搭乗勤務からは外すべきだし、そうなってしかるべきではなかろうか。
それは決して精神病患者を排除するという事ではない。他人の命を預かる仕事だからこそ、そのような可能性を秘めた人は、とりあえず搭乗勤務からは外すべきだと言いたいだけである。
例えば、私の仕事は他人の命を預かるようなものではないから、仮に神経を病んだとしても、それが業務に支障ないレベルのものであればそのまま就業できるし、比較的楽な部署に異動させて状況を監視するというような手段も取れる。

だが、人命を預かる仕事ではそうはいかない。
機長が鬱病でフライト中に自殺衝動に駆られて操縦桿を誤作動させたらどうなるのか?
そのような状況は出来るだけ排除されなければならない。
パイロットというのは搭乗してナンボ、という世界だそうである。搭乗手当てが付くのだ。従って、病気で乗れなくなってしまえば収入が減り、復帰の目途が立たなくなる。
だから、病気であることを隠したり、病気ではないと思い込んだりするようになっていった。これは本当に怖いことだ。
そういった企業内での対応改善という問題も解決されなければならない問題だろう。それを解決した上で、精神病になってしまったパイロットのケアを考えねばならない。
100%の安全性ではダメなのだ、120%の安全性を目指すべきなのである。