筆者の購入したDVDや本、鑑賞した映画、テレビ番組、コンサート等のインプレッションを書いています。
Top > 書評 > マンガ

●大阪ハムレット / 森下裕美

森下 裕美 著
双葉社発行(2007.1)
画像をクリックするとAmazon.co.jpで本が買えます。

【決して電車の中で読んではならない】

森下裕美という漫画家をご存知だろうか。
少年アシベとかゴマフアザラシのゴマちゃんというキーワードを聞くと、判る人もいるだろう。
その森下裕美が週刊アクションに連載している、大阪を舞台にして訥々と描く物語である。
だが、このマンガを見て森下裕美を連想するのは少し難しいかもしれない。

「週刊アクション」「大阪」というと、「じゃりン子チエ」を連想してしまうのだが、チエは圧倒的にマンガである。が、大阪ハムレットはドラマだ。どちらが良いとか悪いとかいう問題ではない。どちらもいいのである。どうしてアクションはこんなに大阪が得意なのか。
一話完結型の短編の続きものなのだが、微妙にキャラクターが交差していたりして、そのあたりの世界観の作り方がうまい。
主人公は一様に反美形であり、本当にそこいらに居るような人たちである。だが、不細工ではあるが、非常に魅力的に描かれている。

短編集だが、全て大阪が舞台となっている。何故大阪が舞台なのかは、読み進めていくうちに段々と判ってくる。このマンガは東京を舞台にしてはいけないのだ。東京では決して良い話にはならない。最低の暗いだけの後味の悪い話にしかならないだろう。
だが、大阪ハムレットは舞台を大阪にした事で見事に成功した。

例えば主人公の一人、「乙女の祈り」で、女の子になりたい小学生のヒロ君。東京を舞台にしたら、それは性同一性障害だのいじめだのといった複雑で深刻な話になってしまう。
だが、そこに大阪という土壌が加わるだけで物語は深刻さを和らげてくれる。いじめらしきものはあるが、深刻さは無い。
ヒロ君が女の子になりたいと思ったのには事情がある。それは性同一性障害というような問題とはチョッと違う心の話。心の優しい男の子の揺れ動く心理を良く衝いている。
ヒロ君の心の中に、元々そういう要素があったのだろうか。だが、単なる性同一性障害とは違う心の動きがあるのだ。彼は、もう1話のエピソードにも登場してくるのだが、そこでは完全に女の子になろうとしつつも男の子である部分が垣間見えてしまう。見た目は女性になりたいのだが、思考や言葉は基本的に男性なのである。
このあたりの微妙な表現を多彩に行えるのは、大阪弁という言葉の持つ温かみと特殊性ではないだろうか。大阪を舞台にしてこその物語だと思った。
「せっかく生きとるんや 男でも女でも生きとったらどっちでもええわい。」
っていう婆ちゃんのセリフは特にいいね。それでええやん。

大阪が活きているのはタイトルにもなっている「大阪ハムレット」というストーリー。
上手く書けそうに無いので粗筋などは書かないが、このエピソードは大阪であることを最大限に活かした話になっている。
ストーリーも良いが、それにも増して絵が良いのだ。
ただ、第1話に関していえば、まだ作者の悩みとか踏ん切りの付かなさがちょっと目だっているように思えた。
主人公ユキオのおじさんは、いがらしみきおや山科けいすけ(注:山科は森下裕美の夫なので、ひょっとしたら影響を受けているかもしれない)あたりが描く汚いオッサンの絵に近く、ユキオは奈良美智の描く子供系の顔立ちだ。
このあたりでは、まだキャラクターの絵作りが纏まっていなかったという事だろうか。
ブレイクスルーになったのは、前述の「乙女の祈り」だろうか。女の子になりたいヒロ君の絵には新境地を見出した感じがする。ストーリーの広がりも、この話から広がってくるイメージがした。

第1巻より第2巻のほうが、より大人びた話になっている。
「大阪踊り」で、ヒキコモリ気味ののりこちゃんに対してバレエ教室のハナコ先生が独白する「死にたいとか生きたいとか頭の中忙しいわ」というセリフがいい。東京言葉では「頭の中忙しい」というフレーズは生まれない。
「カトレアモーニング」で、女房に逃げられてしまい自暴自棄になっている喫茶店の店長に手を差し伸べる朝子。その結果は押して知るべしなのであるが、何故か嫌な印象はない。
西原理恵子とは一味違う毒もあり、涙もある。1巻から2巻への進化を否定する向きもあるようだが、私はこの方向でもっと進化していって欲しいと思う。
ストーリーが良く出来ている上にキャラクターが立っているから、このマンガは詰まらなくなりようがない。

平成18年度文化庁メディア芸術祭において優秀賞を受賞したのも頷ける。が、俺なら「太陽の黙示録」よりこっちを大賞に押すけどね。
これだけ出来た本だと、間違いなくテレビドラマ化されそうな気がするが、中途半端な脚本とダサい演出と下らない配役で台無しにしたらしばくぞ。
こういうのは70年代のNHKかTBSの独壇場だったんだけどねえ、今やNHKもTBSも地に堕ちた。

実は最初にこのマンガに出会ったのは、週刊アクションで連載中の第1話であった。
中々面白く、しかも書いたのが森下裕美という事で二度ビックリ。
しかし、週刊アクションを毎週買うほど剛毅な男ではないので、そのまま忘れてしまっていた。mixiの友人のポン子さんが紹介していたので思い出し、単行本化されているのを発見して1巻、2巻とも購入したのである。
で、そのまま帰りがけの電車の中で読んだのだが、これが大失敗であった。
私はこういう話には滅法ヨワイのである。
大人げもなく電車の中で号泣しそうになった。いやあ、やばいですよ。
絶対に電車の中で読んだり本屋で立ち読みしてはならない本。出来れば、一人でゆったりとした気分で読むことを強くお勧めしておきたい。