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●沈夫人の料理人 / 深巳琳子

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【オトコは馬鹿で愚鈍な方がよい??】

男性作家には絶対書けないマンガのスタイルというものがある。
それは「美人だが性格が破綻している女性を主人公にする」というヤツである。
このキャラクターを前面に描いて大成功したのは高橋留美子だ。
彼女の描いた「めぞん一刻」の主人公、音無響子は優柔不断なうえに嫉妬深いという最低な性格でありながら、美人に描かれることで馬鹿なオトコどもを虜にしてしまった。当時大学生だった私の周囲でも「理想の女性は音無響子」なんて公然と嘯く低能児が多くて辟易としたものである。あんな性格のどこが理想なのか。
高橋留美子は代表作「うる星やつら」に於いても登場する女性キャラクターが悉く性格破綻していて(オトコの方も相当変だったけど)、それが非常に新鮮であった。
性格の悪い美人を好ましく描くことはオトコの作家では不可能である。オトコが書いてしまうと、どうしても「ちびでノロマな人の良い主人公をいびる美人のライバル」になってしまい、松坂慶子とか伊藤かずえとかが演じるイジワルねえちゃんになってしまうのだな。
或いは、その正反対で「ブスだがムチャクチャ性格が良い」流浪雲の「かめさん」みたいなキャラクターにならざるを得ないのだ。
目いっぱい頑張っても、秦建日子の「推理小説」に登場する雪平夏見という男まさりの女刑事のように、オトコだったら相当カッコいいのだが女性で無駄に美人なだけというような、擬似男性化したキャラクターにしかなりえない。(秦建日子は女性のような名前だが男性である。)


要するにオトコには女性に対する固定観念というものがあって、性格の悪い美人を主人公にしても、そこから話を広げていく事ができないという事なのだろう。
従って、性格の悪い美人を主人公にしたマンガの傑作は、必然的に女性作家の手によって生まれてくる事になるのである。

さて、本作「沈夫人の料理人」では、そのように性格の破綻した美人が主人公として登場するわけだ。
タイトルのとおり本来の主人公は、「沈夫人の料理人」であるところの李三(りさん)という料理人である。
このオトコは料理の腕前は凄いが小心者で馬鹿正直であり、自分の主人の奥方であるところの沈夫人に絶対的忠誠を抱いていたりするのである。
そして、その李三に毎回無理難題を吹っかけて美味い料理を作らせる性格の悪い女が、こともあろうに李三の心酔する沈夫人その人なわけであるが、この人は外見は美人なのだな。しかし相当に性格が悪い。
李三というオトコは窮地に追い込まれれば追い込まれるほど、料理の腕が上がるという困った性格なので、沈夫人は李三を徹底的にいじめたり困らせたりする事で美味い料理にありつくことが出来るという事なのである。

ところが、散々意地悪をしたり困らせたりして李三が作った料理を食べる沈夫人の表情が素晴らしく可愛らしくて良いのである。夫人などと言っているが、設定上は20歳そこそこであろうと思われるし、上流階級のお嬢様だから性格は多少悪いが根っからの悪人というわけではないのだ。この姿を見たいがために李三は毎日努力しているのであるが、そのあたりの表現方法のうまさには脱帽せざるを得ない。
昔の中国という時代背景を舞台にして主従関係を構築しているところも、この話の巧妙なところである。李三にとって沈夫人はあくまでも主人であり、主人の命令は絶対なのだ。その主人が満足できない料理を作ることは、料理人の李三にとって耐え難い屈辱であると同時に、主人を裏切る行為にもなるわけである。
だから愚鈍な李三は、主人にいじめられている事にすら気が付かない。馬鹿正直に自分が悪いのだと思い込み、それに報いるように必要以上に努力してしまうのである。
しかも、主人である沈夫人は、いじめたいからいじめているのではない。李三という料理人はいじめられることでより良い料理を作るのだ。従って、自分の欲求を満足させるための必然として料理人をいじめているだけの話なのである。沈夫人にとっては、美味い料理が食べられるのであれば、それ以上の至福は無いのである。逆に言えば、例えば李三が誉められる事で料理の腕がどんどん上がっていく料理人だったとしたなら、沈夫人は徹底的に李三を誉め殺したに違いない。
だが、李三は貶められ、窮地に追い込まれることで実力を発揮するという困った性格の男なのであった。だからこそ、沈夫人は美味いものが食べたいという、その欲求を満たすためだけに李三をいじめるのである。

この本はオトコにとっては屈辱でしかない。ついつい李三の立場になって、もう少し何とかなんないのかよお前とかツッコンでしまうのであるが、あまりにも情けないので読んでいるうちにどっちかというと沈夫人の立場になってしまい、李三が慌てふためくのを楽しむようになってしまうのだから恐ろしい。
愚鈍すぎるんだよなあ。馬鹿正直にも程がある。
だが、世の中大なり小なりオトコが愚鈍であるほうが上手く行くのではあるまいか。何だかそんな事すら感じさせてしまうマンガである。これは恐ろしい洗脳だ。

深巳琳子は寡作で青年誌にしか作品を発表していないようであるが、機会があれば別の作品も読んでみたいと思わせる筆力がある。最近のマンガ家のなかではお気に入りの作家のひとりである。