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●父親たちの星条旗

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2006年:ワーナー・ホームビデオ
監督:クリント・イーストウッド
出演:ライアン・フィリップ、ジェシー・ブラッドフォード、アダム・ビーチ他

【一枚の写真がもたらすもの】

クリント・イーストウッドが描いた「硫黄島の戦い」の内幕。
「硫黄島からの手紙」が日本サイドからみた内容になっているのに対し、こちらはアメリカ側からみた硫黄島の戦いである。
しかも、戦いそのものを中心にして描くのではなく、一枚の写真によって国民的英雄になった3人の兵士の帰国後の姿を中心に描くことで、一味違った戦争映画となった。

DVDジャケットにもなっている、硫黄島で星条旗を掲げる6人の兵士の写真は、非常に有名なものである。
この写真は、4年に渡る長い太平洋戦争とヨーロッパへの派兵で疲弊していたアメリカ経済に喝を入れ、戦意高揚に大きく役立った。だが、それ以上に写真としてのクオリティも非常に高い。
私は写真を撮ることを趣味としているが、その観点から見てもこの映画は非常に感慨深いものがある。写真から受ける印象と真実とのギャップは、いかなる写真においても多少なりとも存在するものだが、それが人生にまで影響を及ぼすこともあるのだ。
この映画は一枚の写真を通して、多くの疑問を投げかけてくる。

この写真の完成度が異常に高いのは、極限の中で戦う兵士が遂に硫黄島を占領し、引きずるように星条旗を突き立てている姿が見事に写されているところにある。
後述するが、あまりにも出来すぎているので「やらせ」ではないかという疑惑が当初からあったらしい。真実は徐々に明らかにされていくが、写真というものが事実をそのままに切り取るものだけではないという事が、この映画を見ることでよく分かるのだ。
写真に携わる者として、この写真の撮られた目的と意味、そしてそれを利用しようと企む人々の思惑、「写っている人たち」の困惑と、良くも悪くもこの1枚によって大きく人生が変わってしまった3人の兵士たちの複雑な思いに触れ、写真を撮ることの意義と発表することの難しさを改めて思い知らされる映画であった。

まず、この写真を見て感じる事は、苦闘の末に遂に硫黄島を制覇した米軍兵士たちの勇姿であろう。それは、写真の完成度とともに素晴らしい感動を伝えてくる。
だが、真実は全く異なっていた。
まず、この旗は最初に掲げられた旗ではなく、2回目に掲げられた旗だというのである。そしてそれは海軍大将のわがままによって折角掲げた一番旗を降ろし、代わりに掲げた旗だというのだ。
それだけでもかなり印象は変わってくる。
しかもそれだけではない。
この星条旗掲揚で硫黄島の戦いは終結したのではなかった。以後35日間に渡って日本軍の抵抗が続き、旗を立てた6人中3人が死んでしまうのである。

政府はこの写真を利用し、6人の兵士を英雄に仕立て上げ、第7次国債発行による戦費獲得のためのコマーシャルに使おうと企む。ところが、この写真の真実が徐々に明らかにされていく。そのあたりのストーリーの組み方が非常に上手い。

映画では明確になっていないが、この旗は日本軍によって倒されている。この後、幾度となく銃撃戦が繰り返され、擂鉢山の攻防は続いていくのである。そのあたりの説明が少し足りなかった。あの旗が倒されれば、3人が死んでいった理由がもっと明確になったように思うし、作られた偶像というイメージが強化されたはずだ。そこが少し残念であった。
しかし、現在のアメリカの国内事情を考えると、星条旗が倒されるシーンを写すのは困難だったかもしれない。ただでさえ反日思想が蔓延っているのである。ここで星条旗が倒れてしまっては、反日感情の火に油を注ぐことになりかねない。

悲惨さという点で言えば、味方の誤射によって死んでいった兵士の姿も哀れだった。この戦いでは日本兵2万、アメリカ兵は6万人が死んでいるのだ。その中で誤爆、誤射によって死んでいった米兵は少なくないと聴く。
敵にやられるならまだしも、見方の誤射で死ぬのは死んでも死に切れるものではないだろう。映画では詳しく語られないが、日本兵の多くの死因は餓死と病死であった。硫黄島の硫黄の臭いは半端ではない(注:筆者は実際に硫黄島を訪れた体験を持つ)。あの中で戦争をする事自体異常な行為であるとしか言いようが無いが、実際の戦闘以外で死ぬ兵士や味方の誤射によって死ぬ兵士が多かったというのも、如何にこの戦いが異常なものであったかを示すものと言える。

しかし、そんな事が明らかになっても何の意味もない。既に第7次国債発行の準備は整っているのだ。政府は残った3人を徹底的に英雄に仕立て上げる事で、国債購入に拍車をかけるようにしていったのである。
太平洋戦争に於いて、アメリカは圧倒的物量で日本を制圧したかのように思う人が多いと思う。だが実際は4年に及ぶ戦争の長期化で、アメリカの軍事費も底をついていた。
もし、この第7次国債による軍事費140億ドルが集まらなければ、戦争を継続できなくなり、日本との講和を余儀なくされる可能性すらあったのである。
そう考えると、日本人としては非常に複雑な気分である。
もし、この写真がなく、国債発行に失敗し、軍事費が集まらなければ、日本との戦いはどうなっていたのだろうか。全面降伏ではなく、講和による終結という可能性はあったのか。
軍事予算が集まらなければ原爆を落とされる事は無かったのだろうか。それとも、武器を調達できない米軍に日本軍が応戦し、泥沼的に戦争は長期化していたのだろうか。史実に「たられば」は禁物だが、ついそのような思いに馳せてしまう。

英雄でも何でもない3人の兵士たちは困惑する。
特に象徴的なのはネイティブ・アメリカンの兵士アイラである。彼は英雄に祭り上げられることを嫌う。そして、自責の念に駆られて酒に溺れていく。しかも、ある酒屋では「インディアンお断り」と人種差別を受けてしまうのである。彼の戦後は悲しい。
米国人としての英雄。だが、アメリカ・インディアンの仲間からは、必ずしも良い眼差しで見られてはいない。そして酒に溺れ、死んでいく。
移民の国アメリカでは、いつの時代の戦争にも彼のような立場の兵士が居た。日系人たちも、自分達の人権を獲得するために、進んでヨーロッパ戦線に赴いていった。
旗を立てた6人の兵士の中にネイティブ・アメリカンが居た事は歴史の事実であるが、あまりにも悲しい皮肉である。

一方で、この写真は「やらせ」ではないかと勘ぐるマスコミが居るというのも、実に自由の国アメリカらしい。写真の完成度が高く、6人の位置、動き、翻る旗、その全てが完璧だからこそ、そのような噂が出るのだろうが、まさにこれは事実が生んだ傑作と言えるだろう。
「やらせ」ではないが「事実」とは微妙に違っている。だが、次第にその事実はどうでも良くなっていくのだ。

様々なイベントに駆り出されていく3人。だが、そのイベントの節々で彼らは悲惨な硫黄島での体験をフラッシュバックさせていく。その中で様々な真実が明らかになっていくが、擂鉢山の塹壕の中で自決している日本兵の無残な姿を晒す必要は無かったように思う。あれは単にグロテスクな映像でしかない。この映像のみが、「硫黄島からの手紙」とリンクする部分であるが、正直のところ、ここだけ映画から浮いてしまっていた。
この映画で唯一気に入らない点でもある。
一方で同僚「イギー」も無残な死に方をしていた。だが、映画ではその無残さを晒すことなく、ライトに浮き上がる衛生兵ジョンの顔を映すことで表現している。このほうが直接的に訴えることなく映画的であり、正しい手法だと思うがいかがなものであろうか。

映画的な観点で見ると、現代、硫黄島、米国での集金活動という3つのステージを行き来するので、少し分かりにくい部分もあった。特に暗い画面を基調としているので人物の顔や背景のディテールなどが分かりにくく、その分映画的に損をしていると思わせる箇所もあったように思われる。

映画では、ラストのロールで出演した俳優の名前の横に、実際の兵士たちの写真が写る。
延々と続くロールに流れる写真は、当時の写真である。これを見て、この戦いが史実なのであったという事に、今更ながら気づかされた。
DVDにはさらにドキュメンタリー映画が添付されており、これは必見である。「硫黄島からの手紙」も含めて、如何にこの映画が史実に忠実に作られているかが分かるからである。
映画館で鑑賞したかたも、是非DVDを買い、このドキュメンタリーを見て頂きたい。
敢えて「硫黄島からの手紙」を見る必要は無いかもしれないが、このドキュメンタリー映画は是非、鑑賞して頂きたいと思う。