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●家守奇譚/梨木香歩

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著者:梨木香歩 新潮文庫他

【気高き精神を持つ男の物語】

8月のある日中、電車に乗っていたらふと反対側に座っている女性に目が留まった。
年の頃は二十代後半であろうか、化粧っ気の薄い顔は多少日焼けしており、Tシャツに七分丈のジーンズというラフな格好である。バレーとかバスケットとか、そんなスポーツをやっていたと思われる体格の良いお嬢さんで、敢えて誤解を恐れずに言うならばビーチバレーの浅尾某を上品にしたような感じの人であった。
その、どちらかといえばスポーツウーマン的な彼女が電車のシートに座ってゆったりと文庫本を読んでいる。その姿が実にリラックスしていて良い感じであった。

電車で本を読んでいる人というのは基本的に本に集中している場合が多い。多少前かがみで食い入るように目を通す。それは、外部の余計な騒音を遮断し、本に集中したいがための所作なのであろう。もちろん、かく言う私もそういう読み方をしているに違いない。

ところが、かのお嬢さんは実に電車の中でもリラックスしながら読んでいた。まるで、庭の縁側に座って、傍らに丸くなって寝ている猫を配し、茶菓子など摘みながら本を読んでいる、といった風情なのである。縁側で日向ぼっこをしながらゆったりと本を読むという雰囲気を電車の中で醸しだすのは並大抵の技ではない。

このお嬢さんが、そこまで達観した猛者である可能性も否定はできないが、どうやらその自然体は読んでいる本に影響を受けているゆえの所作なのではないかと思われた。
その本は文庫本で、本屋の紙カバーなどはしておらず、表紙のタイトルが何とか読み取れる。そんなにリラックスしながら読める本とは何だろう?と気になってよく見てみると、そこには「家守奇譚」と書かれていた。

家守奇譚は今から百年ほど前の明治中期の話。
主人公の綿貫征四郎は、亡くなった友人、高堂の家を借りて住むのであるが、亡くなったはずの高堂がいきなり化けて出てくる、と言っても怪談ではない。征四郎は多少浮世離れしている文筆家で、金儲けとは縁遠いタイプの人間である。そんな性格だからこそ不思議な物事を自ら呼び込んでしまうのだ。
しかも征四郎自身、その不思議な事を怪異とは思わず、あっさりと受け入れてしまうのだから胆が据わっているというか、暢気というべきか。
隣に住む奥さんも妙に河童や狸に精通している。明治の時代は、それが当たり前だったのだ。文明が発達するにつれ、我々は自然の怪異との繋がりを希薄化していったのである。

自然と戯れ、日々の移ろいの中で様々な体験をしていくのだが、その感想が如何にも緩やかである。忽然と現れた亡き友人に「庭のサルスベリに懸想されているぞ」と指摘された征四郎は「そんな気がしていた」と返すのだ。
忽然と現れた友人にも驚かず、サルスベリに惚れられたと聞かされても驚かず、そんな気がしていたとあっさり答えてしまうのだ。ううむ、おぬし、やるな。
読んでいくにつれ、自分も段々と緩やかな気分に浸り、怪異をありのままに受け入れ、それを一緒になって楽しむような気持ちになってくる。先ほどのお嬢さんも、まさにそういう感じでこの本を読んでいたのだろうか。

苦しがっている尼僧の背中を、頼まれるがままに念仏を唱えながらさすってやると、尼僧は落武者や百姓に変化する。信心深い狸に騙されていたのだ。その狸がお礼に篭一杯の松茸を取ってくる。「そんな事をしなくても、いつでも幾らでもさすってやる」という言葉に思わずほろっと来た。

河童の少女が脱いだ河童衣(この表現も秀逸である)を、河童の脱皮した皮と間違えて干してしまうのであるが、それを高堂に指摘され、盗人よばわりされて憤慨する。だが、河童の少女に衣を返す段になって、乾きすぎてはいないだろうかと心配までしてしまう。そのお人よしさ加減も半端ではない。

現代社会の人間たちが失ってしまった何かを綿貫征四郎は持っている。その心に触れて、我々読者は心温かい気持ちになるのだ。

しかし、そんな綿貫にも信念はある。アルバイトでやっていた英語学校の教師の職を、文筆業に影響があると言って断り、また、長虫屋に蝮と百足の捕獲を依頼されても、金のために蝮の捕獲が主体となっては困るとキッパリと断る。
さらには、高堂の住む世界に迷い込んだ征四郎が、かの土地の人たちに移住を勧められると、「ここの世界は私の精神を養わない」と言ってはっきりと断るのだ。
「私の精神を養わない」とは何と高貴で格調高い言葉だろうか。
だが、それにショックを受けた梨園の人々に対し、「家を、守らねばならない。友人の家なのです。」とフォローすることも忘れない。

綿貫征四郎は志高き明治の男である。

この本は私にとって終生手放せぬ本のひとつとなった。