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●間宮兄弟


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2006年

監督:森田芳光

出演:佐々木蔵之介 塚地武雅 常盤貴子 沢尻エリカ他

【本当の兄弟がこんな暮らし方をしていたら薄気味悪いぞ】

森田芳光監督だとは知らなかった。全編に漂う激しい違和感とうそ臭さが気になった。兄弟の距離感がちょっと変なのだ。
男の兄弟が同じ家に住んでて、同じ部屋には寝ないだろうとか。
あちこちに違和感がありまくりの兄弟だったのだが、映画としてはそういう感覚があっても悪くはない。

原作者が江国香織だと知って納得。オトコに女の気持ちが分からないように、女性には男性心理の底を見極めるのは難しいようである。
と、思ったのだが、原作本を読んでみると、モテない男の兄弟の性格設定という意味での同居であることが分かる。いい年こいて、兄弟で同じ部屋をシェアして住んでいること自体、気持ち悪くてありえないという設定の上での話のようである。

映画の間宮兄弟は、そこまで気持ちの悪いオタク兄弟としては描かれていなかった。
それは森田義光監督の優しさだったのだろうか。

だが、生理的に受け付けなかったのは、前述したように兄弟が枕を並べて寝ているシーンである。男性諸君にはお分かりの事と思うが、そんな兄弟は、まずありえない。これは確信犯なんだろうなあ。
おそらく女性の視聴者には分からないであろう皮肉である。このシーンを見た瞬間に、森田監督の意図するところが少し分かったような気がした。
どうせ思い込みなので批判を恐れず書いてしまうが、要するにこれは江国香織の原作に対する痛烈な批判なのではないだろうか?
女の目から見たオタク兄弟なんて、実際には存在しえない。それはオトコなら誰でも分かってしまう簡単なことなのだ。それを虚構として書いている本など、オトコから見たら滑稽でしかない。ならば、それを忠実に再現することで、逆に作者を嗤ってやろうという悪意。
・・・というのはあまりにも思い込みすぎだろうか?

中島みゆきの母は、ちょっと飛んでて良かった。しかし、中島みゆきも母親役をやっちまうんだなあ。今のテレビドラマでは菊池桃子や和久井映見が20歳くらいの子供の母親役をやってしまうような時代なんだから、中島みゆきなら充分問題ないといえばそれまでなんだが。
だが、「これだけカッ飛んだ凄い母親が居るのになんだこの子供の出来の悪さは!」と毒づきたくなるようなギャップに違和感を感じてしまった。
この兄弟の母親にしては人間が生き生きしすぎている。
そこが残念な1点目。

沢尻エリカはCMで目の周りがどす黒い「媒図かずおの描く少女」みたいなメイクをしていたのがちょっと引いてしまうのだが、この映画はほぼスッピンに近くて可愛らしかった。
事務所の問題なんだろうけど、覆面歌手といい、メイクといい、かなり方向性を間違えてしまったなあ。挙句の果てには舞台挨拶での失態で女優生命をほぼ失ってしまい、既に世の中から忘れ去られつつあるが、このあたりの栄枯盛衰って、何だか一昔前に流行ったロシア人少女デュオのt.A.T.uを連想してしまう。あれも事務所の「お騒がせ売込み」方針の勘違いで急速に失速したアイドルであった。
沢尻はこの映画の役のような路線で行けば、そこそこ可愛いだけにそれなりの地位を築けたに違いない。売らんかな主義、目立とう精神が強すぎて、反って反発を食って消えてしまうというのは、演技の出来る女優が少ない現在において、ちょっと残念である。
そこが残念な2点目。

むしろ沢尻よりも、妹役の北川景子(本間夕美役)の方が印象的であった。
現実的な問題として、こんな美人姉妹がオタク兄弟と友人になるという事自体、ありえない話だと思うが、その分を割り引いたとしても、全く恋愛感情を持たずに何となく間宮兄弟にシンパシーを感じる妹の存在は、男性の視点から見れば実ははた迷惑な存在でしかない。
「ひょっとして妹のほうは自分に好意を持っているんじゃないか」などと誤解させられるような言動もあり、それをストレートに受けとめてしまった間宮弟がそういう気持ちになってしまった時点で、これは絶望的な悲劇にしかならない。
一方で初めから全く兄には何の関心もない姉の方が、振られてもオトコの痛手は少ないのである。
このあたりの人間関係の危うさが唯一の見所であった。が、男性的な視点で見れば、こういう話はちっとも面白くないどころか、鬱な気分すら呼び込んでくる。
女性作者が原作なので、そのあたりの冷徹さが男性には痛く厳しく感じられてしまうのだ。

常盤貴子は久々に見たが、良くもなく悪くもなく。

弟役の塚地武雅はフジテレビの番組「裸の大将放浪記」で芦屋雁之助に代わり二代目山下清を好演していた。この映画では一見自然体で演じていたようにも思うのだが、妙に窮屈そうにも感じてしまった。それは私が感じた違和感と似たようなものを塚地自身が感じていたという事だろうか。或いは塚地の違和感を私が画面から感じ取っただけなのだろうか。
いずれにしても微妙な感じを残している演技が気になってしまった。演技そのものは悪くない。だが、その演技と台詞、シーンが絡まっていないというか、何か人工的でお芝居的な感覚が抜けないのである。
一方で、兄役の佐々木蔵之介は妙に印象が薄い。居なくても良かったんじゃないかと思えるくらい存在感が無いのが逆にかわいそうでもある。だからモテないという事か。それを意図しての演技であるとするなら、これは素晴らしい。

塚地の演技がまあまあ良かったけれど、それ以外見るべき点は少なかった。森田義光も衰えたのかな。選んだ原作が良くなかったという事なのか。
人間は傷つかずには生きていけない。傷つくことを恐れて逃げているだけでは、ろくな人生にはならない。この映画はそんな教訓めいた話ではないのだが、同性の立場で見ても、オタクだが傷つくことを恐れて逃げている間宮兄弟に共感を持つことは出来なかった。
このレビューを書くにあたって、ネット上の様々な意見を読んでみたのだが、「ほのぼのとしたストーリー」なんていう頓珍漢な解説があったりして、驚愕してしまった。女性が見たらそう感じるのだろうかね。オトコの目で見れば、この映画はある意味拷問でしかない。一見ほのぼのとしてはいるが、その底辺には暗く澱んだ空気しか感じられないのだ。その澱のようなものは、オトコにしか感じられない事なのだろうか。

同時期に公開されていた「かもめ食堂」の出来が良すぎただけに、比較対象とされてしまったのも運が悪かった。
それが残念な3点目。

いずれにしても残念な映画である。
思った以上に後味が悪かったので、二度と見ない映画のひとつであろう。