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●12人の怒れる男



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1957年:UA

監督:シドニー・ルメット

出演:ヘンリー・フォンダ、リー・J・コップ他

【陪審制度を扱った傑作法定劇】

米国には陪審制度というものがある。陪審制度とは、一般市民から選ばれた成人男女が陪審員として裁判に参加し、事実認定等を行う制度である。12人の陪審員は、法廷において裁判の様子を監視し、検察側、弁護側双方の意見を聴き、合議制により有罪であるか無罪であるかの判決を下すのである。その判決は全員一致でなければならない。

この映画は、父親殺しの罪に問われた少年の裁判を題材としており、陪審員が全員一致の評決に達するまで一室で議論し、結論が出るまでを映画化したものである。
ほぼ全編、陪審員室の中でだけ話が進行しているという非常に珍しい映画である。

物語は、12人中、11人までが被告を有罪とした中で、唯一陪審員8号のヘンリー・フォンダのみが無罪を主張するところから始まる。
一見、誰が見ても有罪としか思えない事件のちょっとした疑問を突き、そこから意見を広げて行くことによって、一人一人陪審員を有罪から無罪に変更させ、最後には全員一致で無罪という判決を導き出すに至る、ヒューマニズムというよりも説得力に満ちた映画である。

しかし、陪審員8号とて、無罪という主張に根拠があったわけではない。その理由は、「ここで私が有罪を主張したら、いとも簡単に少年の将来が決まってしまう。とにかく話し合おう」という、それだけの事であった。
陪審員には色々な人間がいる。明らかに裁判を面倒くさがり、早くおしまいにしてナイターを見に行こうという陪審員7号(ジャック・ウォーデン)に対して、陪審員8号は言う。
「人の命を5分で決めてもし間違っていたら? 1時間話そう。ナイターには十分間に合う」
このくだりにまず唸ってしまう。陪審員8号とて、実は無罪には懐疑的なのである。だが、彼は人の命を5分で決めて、もし間違っていたらという、その思いだけで議論することを主張するのだ。そこには無罪への核心はない。だが、彼自身も納得の行かない状況で有罪を宣告するのは出来ないと思っているのだ。
この手の映画にはありがちな、安っぽいヒューマニズムやお涙頂戴の同情話ではない。そこがまず、この映画の秀逸な点であった。

その論理は、再投票で有罪10対無罪2になったとき、無罪に投じた老人陪審員9号(ジョセフ・スィーニー)の一言にも繋がってくる。
「有罪に確信がないだけで、この方は1人で闘ってこられた。大変な勇気だ。だからこそ彼の賭けに応じたくなった。有罪だとしても、もっと話を聞きたい」

有罪だとしても、もっと語ることが重要なのだ。仮に12人全員が有罪を主張したとしても、陪審員はもう一度裁判を見直し、その審判が有効で適正なものであるかを討議しなければならない。それこそが、陪審員制度の存在価値である、と、この映画は主張しているのである。
陪審員は話が続くにつれ、次第に無罪へ転じるようになる。疑いがあれば、無罪の余地があるのだ。だからこそ、無罪にすべきなのだ。「疑わしきは罰せず」これこそが現代の法律の基本理念である。

アメリカ的であり、この話のクライマックスのひとつと言えるのが、少年やスラム住民へのあからさまな差別を語る陪審員10号(エド・ベグリー)である。彼は激昂していく。
「あの不良たち平気でうそをつく。真実なんてどうでもいい。大した理由がなくても奴らは人を殺す。気にするような人種じゃない。奴らは根っからのクズなんだ。」
その行き過ぎた主張を聞いた他の11人は、彼を議論の壇上から下ろす。彼に背を向け、無言で拒否するというやり方で。
次々と背を向けていく11人の姿勢は、差別や偏見に対する無言の非難である。だが、討論ではなく無言の拒否である所が、絶対的な拒否を示していて興味深い。
そこには「議論の余地はない」のである。陪審員による「有罪・無罪への評決」の中には、偏見や差別があってはならないという強い主張だ。
これはアメリカならではの演出であろう。日本人ではなかなか出て来ない発想である。

最後まで有罪を主張した陪審員3号(リー・J・コップが渋い役どころを見事に演じた)は、自分の息子と被告の姿をダブらせていた。それもまた、陪審の難しさを表現している。陪審員には私情を挟むことも禁物なのだ。だからこそ、陪審員は被告や被害者とは全く関係のない第三者から選ばれるのである。
このようにして、この映画は陪審制度の利点及びそこに内在する問題点を浮き彫りにし、自分自身が納得できる意見を持ち、それを主張し、あるいは議論しながら結論に達することの大切さを教えている。

この手の映画にありがちな、安っぽい感傷や無駄な正義感のようなものは微塵もない。事実の探求と、そこから生じた疑問がある以上、「疑わしきは罰せず」の原則に基づき、彼らは無罪という結論を導き出しているのである。

金を払ってでも見るべき映画というのは少ない。
だが、私はこの映画こそ、金を払ってでも見るべきだと声を大にして言っておこう。