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●大日本人


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2007年:アール・アンド・シー

監督:松本人志

出演:松本人志、UA、 板尾創路他

【松ちゃんは恥ずかしがり屋】

第60回カンヌ国際映画祭に招待作品として上映された松本人志監督・主演第一作である。
この映画は、強いて言うならば特撮映画であり、怪獣映画である。或いは怪獣映画に対するパロディ的要素を持った作品とも言える。

私と同じ名前の大佐藤マサルさん(名前は映画の中では出て来ないので、その名前を後で知った時には驚愕した)がテレビの取材を受けるところから、この映画は始まっていく。
「テレビ局による取材」という基本プロットを設定し、そのスタイルを押し通して進行していく作り方は悪くない。
大佐藤はどうやら町の嫌われ者らしい。が、彼がどんな仕事に従事しているのか全く分からない。その秘密と謎が見る者の興味を引き、どんどんと引き込まれていく。
いやはや、この撮り方には非凡なものを感じずにはいられない。さすが松ちゃんである。

同じカンヌ映画祭でグランプリを受賞した「もがりの森」についても批評を書いているので、そちらも見ていただきたいのであるが、映画の基本に則って、間接的なヒントや映像を挟みつつ、次第に大佐藤の本質に迫っていくやり方は、見ていて非常に納得の行く方法であり、しかも何だか社会批判的な真面目さすら匂わせていく部分では、圧倒的にこちらの映画のほうを評価したい。

そして、遂に大佐藤の正体が明らかになる。ここで初めて、観客はこの映画が怪獣特撮映画であるという事に気づかされるのだ。日本には怪獣(ここでは単に「獣」と称される)が跳梁跋扈しており、それを退治するのが「大日本人」大佐藤の役目なのである。
大佐藤は国家公務員であり、月50万円の給料を貰っている。また、「大日本人」は世襲制であり、体に電気を浴びることで巨大化し、「獣」と戦うのだ。

だが、現代社会において「大日本人」は邪魔者扱いされている。それは「獣」とともに街を破壊することに一役買っているからなのだろうか。「獣」と戦うことを「騒音」と感じ、自分に直接関係の無い事だから「うるさい」と否定する現代人の身勝手な行動を暗に批判している。

怪獣たちのデザインが良い。特に「締ルノ獣」が最高である。この締ルノ獣は、映画怪獣史上屈指のデザインであろう。顔がまるっきり「海原はるか」なのであるが、その不気味さといい、CG造型といい、完全にツボにハマってしまった。
この映画の様々な失敗をカバーして余りある造型であるなんて言ったら言い過ぎか。板尾創路の「匂ウノ獣(メス)」も悪くなかったが、「締ルノ獣」のインパクトには敵わないだろう。これだけでも一見の価値あり、と言っておく。

大日本人は世襲制であり、大佐藤は6代目である。5代目の父は失踪しており、4代目の祖父は老人ホームに入っていて、認知症になっている。
大佐藤は祖父を養うためにも、大日本人を続けなければならないのだ。「誰が祖父の面倒を見てくれるのだ?」とインタビュアーに詰問する大佐藤の姿が痛々しい。
大佐藤にはマネージャーが付いており、獣との戦いをテレビ放送することで収入を得ている。収入アップのためスポンサーを付けるが、カトキチ、白い恋人と不祥事を起こした会社ばかりなのは物凄い皮肉かと思えば、これらの会社が不祥事を起こしたのは映画公開後の話だったそうである。
マネージャー(UAが熱演)は、外車を乗り回し、かなりの高収入を得ているように思われる。大佐藤が貧乏ったらしいのにマネージャーの羽振りが良いというのも、現実を皮肉っているようで少し笑えた。

だが、日本で知られていない新たな「獣」の登場で、事態は変化していく。
大佐藤はこの新たな獣に完敗してしまうのである。皮肉にも、負けた戦いのテレビ放映は高視聴率となり、インタビューアーは再戦を要求するが、大佐藤の返事は鈍い。
そして止む無く再戦し、再び大佐藤に完勝した「獣」の前に立ちはだかったのは、「4代目大日本人」の祖父であった。

・・・と、ここまでは非常に面白い映画なのだった。
祖父が謎の獣を退治し、実はその謎の獣は5代目の父の変わり果てた姿だった、なんていうストーリーだったら面白く纏まった映画になったに違いない。
だが、松ちゃんはそうやって真面目に映画を作る事が恥ずかしくなってしまったようである。

松本人志は恥ずかしがり屋である。お笑い芸人の癖に恥ずかしがり屋なのだ。だから、彼の芸風は照れ隠しが基本である。
真面目にやっといてドスンと落とす。そこが松本人志の芸風であり、ある意味魅力でもあった。

映画監督「北野武」が「ビートたけし」とは別人格として映画を作ったように、松本人志も映画は映画として、別人格の松本になりきるべきであった。
だが、松ちゃんにはどうしてもそれが出来なかったらしい。

突然、CGで作られていた映画はチープな特撮に変わってしまう。ここから話は急転し、今までのストーリーを全て破壊し、投げ出してしまうのだ。
わけの分からないウルトラマンもどきが登場し、まさに「ごっつええ感じ」そのもののチープな戦いが繰り広げられる。
圧倒的に強かった「謎の獣」はあっという間に片付けられてしまい、一巻の終わり。
エンディングにかぶさるようにしてウルトラマン一家の反省会。そこはギャグ的な要素が満載なのであるが、既に笑える笑えないの域を超えてしまっている。

映画に対する冒涜と言えないこともない。最低の映画になってしまった。
が、それは松本人志というコメディアンの、どうしようもない照れ隠しなのである。照れ隠しの無い松本の作品は、最早松本人志の作品とは言えない。
松本人志が松本人志としてのアイデンテティを維持していくために、このような形で話を貶めるしか手段は無かったのだ。

そこを理解できていない多くの映画好きの批評は、少々筋違いだと思ってしまう。
いや、私もこれでは評価に値しないと思う。だが、北野武みたいにならないで欲しいという(良い意味でも悪い意味でも)思いを述べるとするなら、この映画はこういう纏め方でも止むを得ないと思わざるを得ないのだ。

そこが本当に残念でならない。