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●魍魎の匣


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2008年:ジェネオン エンタテインメント

監督:原田眞人

出演:黒木瞳、堤真一、柄本明、谷村美月、田中麗奈他

【ミステリーの無いミステリー】

映画は原作とは異なる。原作はあくまで原作であって、それを監督がどう料理するか、という点が小説を原作に持つ映画の見所のひとつである。それをまさに感じさせたのがこの映画であった。
京極夏彦原作の妖怪ミステリー。その第一作は2006年に公開された「姑獲鳥の夏」であったが、本作品はそのキャストをほぼそのまま引き継いでの第二作目という事になる。

いきなり太平洋戦争の戦闘シーンで始まるのだが、そこには久保竣公と榎木津の姿が。
榎木津と久保の過去を絡ませ、さらに焼夷弾で目を焼かれて榎木津の「過去が透視できる」能力が生まれるという設定は悪くは無い。だが、そこで榎木津は久保の過去に箱と少女を見てしまうのである。箱はともかく、少女は違うんじゃなかろうかと思った。
だが、この作品が原作とは全く違う話になっているという点で、このシーンは必要なのであった。それを理解するのにはもう少し映画を見続けねばならなかった。

そこから段々と現代(映画の中での現代)に戻り、話が進んでいくのだが、話が進むにつれ、この映画が小説とは多いに異なっているという事が分かってくる。
「魍魎の匣」という小説は、「財産奪取に絡んだ密室からの誘拐事件」というミステリーが、その骨子となっている。ところが、映画版にはそれが無い。
悉く、ミステリーに絡む部分は割愛されているのだ。ミステリーからミステリーである部分を抜いちゃって映画化したのが、この「魍魎の匣」という映画なのである。これは凄いことだ。

加奈子誘拐の場面が全くないので、それゆえに久保の動機も大幅に改変されてしまっている。おそらく、それゆえに原作にはない榎木津との因縁と、箱入り少女への執着というサブ設定を作ったのであろう。ただ、残念ながらそれが活かされていたとは言いがたい。

ミステリーの割愛は、その主人公をも変えてしまった。
原作では、主人公は木場である。ところが、この映画では木場はあくまで三枚目の役どころしか設定されていない。狂言廻しにすらなっていない、単なる端役なのである。これは大いに不満。前半で木場が遭遇すべき加菜子の鉄道事故も青木が遭遇するように変更されているし、美波絹子の映画に熱中するシーンはコミカルに書かれているが、ブロマイドを手帳に挟む純情性などの表現は悉くカットされてしまった。
そこの突っ込みが不足しているため、陽子と木場が対立しているかのような構図になってしまい、木場の行動に一貫性が認められなくなってしまった。
さらに、木場と箱との関係についても全く描かれる事が無かったのが致命的である。京極妖怪シリーズは、出演者全てが妖怪に取り憑かれるのである。木場はもちろん、関口も青木も魍魎に取り憑かれ、それを纏めて祓い落とすのが京極堂の役割なのであるから、木場と箱の関係についてももう少し描くべきであったと思う。

だがしかし、この小説は途轍もなく長いのである。2時間少々の映画に収めるには、あれもこれも扱っていたのでは無理がある。そのあたりの難しさを感じずにはいられなかった。
とはいうものの、美馬坂研究所への侵入シーンは嫌に冗長的であった。あのシーンこそバッサリ割愛しても良かったんじゃないだろうか。逆に、危機一髪の京極堂&関口のシーンをいきなり暗転させ、「冬が終わって春が着た」とは何事か。彼らが何故助かったのかについて全く言及していないのには呆れたよ。そして、その時気づいたのだが、原作では夏の終わりから秋口にかけての話だったのを、冬の話にしてしまっていたのだった。冬に公開の正月映画だから冬の話ということなんだろうが、そんな事をしていたらシリーズものの国産映画はみんな夏と冬の話だけになっちまう。
妖怪シリーズには季節感というものも重要な要素なので、ここでの季節変更は後々大いに困る事になるのではないかと思うのだが。

昭和28年という時代設定を再現するのに中国ロケを使ったのは、概ね成功していたのではないだろうか。無駄に出来の悪いCGを使うのではなく、それらしい雰囲気を持った中国の都市を使っての表現方法は悪くなかった。だか、昭和28年の日本とするには少々無理がある場面も少なくなかった。
市街地のシーンは中国ロケでも構わないが、頼子の家くらいちゃんとセットを作って欲しいものであった。あの石造りの建物は、とても日本とは言えない。
京極堂も眩暈坂を用意せず、清明神社の階段を上らせていくのはセットの省略か。前作の眩暈坂が良く出来ていただけに、この部分の手抜きは大きなマイナスポイントだ。

台詞回しが速く、コミカルな演出が目立ったのは面白かった反面、そりゃないだろうと思わせる部分も少なくなかった。
特に問題だったのはキャスティング。前回、意外とハマっていた感じのあった永瀬正敏による関口巽が、椎名桔平になってしまったことだ。病気による代役だったという事だが、椎名桔平では関口巽と正反対。饒舌で堂々としており、吃る事など全くなく、敦子に冗談まで言ったりする関口なんて関口巽の風上にも置けない。これは益田だ。お前は益田か!マスカマか!!と言いたくなるくらい、益田化してましたよ椎名さん。
御筥様の対決シーンとして、原作の白眉?でもあった御亀様のシーンもバッサリ切り取られており、これでは関口の立つ瀬がない。

美波絹子(柚木陽子)役の黒木瞳も辛かった。原作のイメージで行けば、この人のモデルは明らかに南野陽子であって、年齢的にも南野陽子がやるべきだった配役ではないかと思う。
時代劇映画のシーンも脳内想像していたものとは全く違うものであった。お姫様捕物帳みたいな話じゃなかったっけか?(そこが南野陽子のスケバン刑事とリンクするのだ)
南野陽子を分解して「美波」絹子と柚木「陽子」という名前にしているのである。(京極ファンには有名な話)
ここはどんなにダイコン役者であっても南野陽子に演じて欲しかった!!
最後で美波絹子が復活するという変更も何だかな。全員がぶちのめされ、ある者は死に、ある者は心に深い傷を追う。そんな中で、唯一加菜子を箱に詰めて旅する雨宮のみが、現世から逃避して永遠の至福の時間を得るのである。そのメリハリは、やはりつけておくべきであった。そうでないとエンディングが生きない。

久保竣公役には何と宮藤勘九郎が演じた。イメージ的にはクドカンよりも及川光博なのだが、不気味さの演出と言う点では流石クドカンという印象を持った。この設定は悪くなかった。唯一ハマりキャストと言えるのが中禅寺敦子役の田中麗奈。これは前作以上に見事。田中麗奈がいい役者に育ったという部分もあるのだが、原作に感じる跳ねっかえり的要素が綺麗に柔和されていて好印象。

美馬坂教授役には柄本明。似合わねー。誰がいいとは言えないけど、柄本明と黒木瞳の親子&ラブロマンスは考えにくいですよ。しかも、久保竣公の父である寺田兵衛に御筥様の設定について色々と教えたのも美馬坂教授、久保に命じて加奈子を連れてこさせようとしたのも美馬坂教授、久保が少年時代に美馬坂研究所に行き、そこで箱の中に人造人間の失敗作である女性の死体を見つけてトラウマになってしまい、今回の犯罪を犯すキッカケになってしまったという点では、今回の連続殺人事件の原因を作ったのも美馬坂教授って事になる。
全ての元凶、悪の親玉というわけだ。(念のために言っておくが、原作は全然違う)
そこまでの悪役に育て上げるのならば、それなりの役者を配して欲しかったものである。いや、エモやんでも悪くないけど、ちょっと地味すぎた。

あと、頼子と加菜子の配役は逆のほうが良かったんじゃないだろうか。谷村美月の方が圧倒的に加菜子っぽい危うさを感じる。いや、寺島咲も嫌いじゃないけど、少し健康的すぎた印象が強い。エンディングの加菜子の「ほう」も大いに不満。ここは箱の中に「みつしり」入っていなければ意味が無い。

いやはや、京極ファンとしては不満たらたらの内容なわけだが、これをひとつのエンターティメントとしてみてみると、意外に良く出来た映画であることは間違いない。少なくとも前作のわけの分からん実相寺映画よりは随分と纏まった映画に仕上がっている。
敢えて原作を崩しまくり、京極夏彦小説の映画化ではなく、原田眞人監督の作品に仕上げた、という点で監督の手腕を評価したいと思う。

だが、やはりこれは京極ファンとしては許しがたい映画である。
映画では一言も名台詞を発しなかった鳥口の代わりに言ってやろう。
「うへぇ」