筆者の購入したDVDや本、鑑賞した映画、テレビ番組、コンサート等のインプレッションを書いています。
Top > 映画/ドラマ > 邦画

●明日への遺言

B0019546LO明日への遺言 特別版 [DVD]
藤田まこと, 富司純子, ロバート・レッサー, フレッド・マックィーン, 小泉堯史
角川エンタテインメント 2008-08-08

太平洋戦争中、米軍捕虜を斬殺刑にしたという理由で横浜裁判を受け、絞首刑になった元陸軍東海軍司令官岡田資の、横浜裁判における生き様を描いた物語である。

いわゆる戦犯裁判の中で、この手のBC級戦犯に関しては、捕虜虐殺などの罪により多くの人が死刑となった。A級戦犯が約200人中7人しか死刑にならなかったのに対し、BC級戦犯は6000人弱が逮捕され、うち1000人が死刑になっている。BC級のほうが直接手を下して米兵を処刑していたりするわけで、その為に重罪となっているのだが、基本的に戦争犯罪人は責任者以外無罪とすべきであって、この裁判には納得が行かないものがある。

さて、映画はおさらいのように太平洋戦争の歴史を説明したのち本題に入っていくが、この太平洋戦争の歴史の描き方が一風変わっている。日本では何故か殆んど語られることのない、B29による無差別爆撃、原爆投下による悲惨な被害状況を当時の貴重な映像で表現しているのだ。そこには無差別爆撃によって黒こげになった死体の山、原爆によって爛れ、変形した顔や手を治療する姿など、正視に耐えない映像が連続する。

この映画の言わんとするところ、すなわち岡田の主張であるところの「米軍による無差別攻撃への批判」をまず明確に事実として表現しているのだ。従って、話の流れに囚われず、この悲惨な攻撃の姿とそれに対する国民の怒りの感情については、我々は充分に認識しておく必要がある。

映画は淡々と裁判の状況を流していく。よくある表現方法として、証人が状況説明する際に再現ドラマのような形でその証言内容を表現するような手法があったりするが、この映画ではそのような事はなく、すべて証人や被告が語るその言葉のまま、それが法廷劇として映し出されている。従って我々は、横浜裁判の傍聴人であるかのような立場でこの映画に加わることが出来るのだ。

小泉監督はこの映画を、時系列に沿って各シーンを撮っていったそうだが、それが非常に効果的に役者の演技として現れている。はじめは完全に敵対すべき相手であった検察官や裁判官が、岡田の高貴かつ責任感ある主張に段々と引きずられ、最後には岡田に対して同情的な発言や見解を引き出していくのであるが、そのあたりの演出も、時系列に沿って撮影されているからこそ、自然な演技となり、説得力のある画面を作り出している。

岡田の主張は「米軍による空襲は、一般市民を無慈悲に殺害した無差別爆撃であり、その搭乗員はハーグ条約違反の戦犯であって、捕虜ではない」「従って、戦犯を日本の軍規によって処刑したのであり、捕虜虐待には当たらない」というものであった。
そしてさらに、「命令を下したのは自分の責任であり、部下に一切の責任を負うものではない」ということであった。
この決然とした主張は、最終的に裁判官が岡田救済のための妥協案に対しても変わる事なく、主張され続ける。

それは、この処刑が「一般市民を殺害されたことに対する怒りであり、報復であったのではないか?」というものであった。報復であれば、それはある程度の範囲内であれば許可される。裁判官は、そこに岡田救済の可能性を見出し、そのように発言させることで死刑を免除させようとしたのである。
だが、岡田は決然として自らの主張を崩さなかった。これはこの映画の白眉であり、最も訴えかけてくる部分である。自分が助かるために裁判を受けているのではない。
あくまでも米軍の空襲は無差別攻撃であり、それに対する処刑である、という姿勢を崩してしまうと、米軍の空襲を認めてしまう結果になるからだ。それは決して許されることではないのだ。

映画では最後まで明確化されなかったが、史実では最終的に米軍側が「名古屋空襲は無差別爆撃であり国際法違法である」との見解を導き出す。それは岡田の言う「法戦」への完全勝利であった。自らの命を賭して、部下を守り、米軍に過ちを認めさせたのである。
岡田の素晴らしさは、この判決を導き出したことに尽きる。

今の社会で、このような優秀な責任者がどれくらい居るものだろうか。逆に言えば、戦争のために多くの優秀な人材を失った中で、日本は復興してきたのである。
優秀な人材を戦争や、戦後の戦犯裁判で多く失ってきた日本が、その復興の中で満足な責任者、経営者、上司にめぐり合えず、結果として今の日本が出来上がってしまったのである。
むろん、生き残った者にも優秀な人物は多かっただろう。だが、それ以上に戦争で失った人材の代償は大きいと言わねばなるまい。
今の日本の惨状を岡田が見たら何と言うだろうか。世の中には責任逃れしか考えていない責任者だらけである。私利私欲のために法を犯し、事件が発覚すれば責任逃れの繰り返し。そんな奴らが作ってきた国がまともに機能するはずがない。

我々はこの映画を見て、大いに恥じ入るとともに、次世代を担う若者たちのためにこの腐りきった社会を少しずつでも改革していかねばならないだろう。
どうかこの映画は多くの「責任者」たる方々に見て頂き、己の稚拙さを恥じ入り、批判し、少しでも現状を回復させることに努めて頂きたいものである。

藤田まこと演ずる岡田の姿は清廉潔白でありつつも優しさが滲み溢れており、まさに適役だったのではないかと思われる。妻役の富司純子もナレーション以外殆んどセリフが無いという難しい役を見事にこなしていた。
妙に存在感があったのが、岡田の息子の嫁、小原純子を演じた近衛はな。彼女も全くセリフが無く、岡田が裁判を受ける後方で傍聴している姿が映るだけなのであるが、大変存在感があって気になってしまった。父は目黒祐樹、母は江夏夕子と聞いて納得。なるほど、それなら存在感が出て当然だろう。今後が楽しみな女優さんである。

バーネット主任検察官を演じたフレッド・マックイーンも良かった。マックイーンなんていう名前で、しかも顔だちが何となくスティーブ・マックイーンに似ており、息子か何かかと思ったらそうではないらしい。(映画公開時にはマックイーンの息子という宣伝がなされていたようだが今は消されている)

その他、証人として西村雅彦、蒼井優、田中好子らが出てくるのだが、それぞれ抑えた演技ながら重要な証人の役をこなしていた。特に蒼井優はいいね。贔屓の女優さんだが、本当にこういう役をやらせると彼女は上手い。

映画の中で象徴的だった点として、「責任は誰にあるか」を問う部分がある。
「捕虜処刑」の責任は全て自分にある、とした岡田に対し、それでは「米軍の無差別攻撃」の責任は誰にあるのか?と訊く場面。岡田はふと目を上げる、そこには最高司令官「マッカーサー」の写真がある。だが、岡田は「自分には分からない」と言うのだ。
もちろん、自ら責任は上官にあると言っている以上、米軍の攻撃の責任はマッカーサーにあるのだ。だが、それを言うことで、次に出てくるのは更なる責任追及であろう。
映画では軽くスルーされてしまったが、その責任を追及していけば、必ず天皇の戦争責任にまで話は広がってしまうのだ。それを抑えるという意味でも岡田はマッカーサーの責任について「分からない」として言明を避けたと考えても良いのではないだろうか。それはちょっと考えすぎかな?

日本人の中には未だに、何かと言うと「日本人は戦争について謝罪すべき」とヒステリックに叫ぶ人たちが多いが、そういう人たちにこそ、是非この映画を見て頂き、本当に未だに日本人「だけ」が謝罪すべきなのか、もう一度徹底的に考え直して頂く必要があるだろう。
もちろん、日本のしてきた事に問題が無かったとは言わない。だが、一方的に謝るだけであってはならないのだ、という事を絶対に忘れてはならない。