筆者の購入したDVDや本、鑑賞した映画、テレビ番組、コンサート等のインプレッションを書いています。
Top > 映画/ドラマ > 洋画

●ショーシャンクの空に

ショーシャンクの空に [DVD]

B001525JBW

【過去にこだわるより未来の生き方を考えろ】

見逃していた。完全に俺好みだったのに!
この時期、あんまり映画は見ていなかったような気がするのと、恐らくアカデミー賞に7部門ノミネートされていながらも、「フォレスト・ガンプ/一期一会」に全てを攫われてしまったため、話題性に欠けたからかも知れない。
時代は未だインターネット社会ではなく、情報に疎かったという部分も影響しているだろう。

映画は簡単に言ってしまえば、無実の罪で収監された男が脱獄する話である。
だが、復讐劇のようなものはない。
脱獄シーンそのものも回想で出てくるだけで、リアルさには欠けている。
要するに監獄映画のスペクタクルを殆んど廃しているのだ。だが、面白い。いや、それだからこそ名作になったと言えるかもしれない。

日本では絶対に作られない映画だろうな。日本人なら冤罪を晴らすための執拗な努力とか、冤罪を受けたための絶望感とか悲壮感とか、そんなメンタルな部分をやたら強調した、お涙頂戴作品しか作れないだろう。だが、この映画はそんな下らない(と、敢えて書いてしまう)事には見向きもしない。冤罪を晴らすんじゃなくて、それを逆手に取って、明日のために努力する主人公の姿が活き活きと書かれているのだ。

見事脱獄に成功した主人公がした事は、冤罪事件を白日のものに晒し、自分の過去を取り戻す事ではなかった。世間を見放し、気ままな南国暮らしをしながら、収監中に仲良くなった友と余生を暮らすために待ち続ける。その生き様というものは、「過去に拘っていても仕方ない」という部分で実にアメリカ的発想だと思う。日本人や韓国・中国などのアジア人には絶対に出来ない発想じゃないだろうか。
未だ戦後補償がどうとか言っている諸外国の「たかり屋」どもと、毅然とした態度を取れない日本のへたれ政治家と外交官どもに、主人公の爪のアカを煎じて飲ませてやりたいくらいだ。

スティーブン・キングの中篇「刑務所のリタ・ヘイワース」を原作としているだけあって、ストーリーの巧みさには舌を巻く。特に、無実の罪であるのに収監されているという点をあまり深く追求していないのが良い。
「ここでは皆、無実の罪なんだ」というセリフが冗談めいて語られるのだが、主人公が新入りに対して語る部分は深く、重い。冤罪の苦悩など、幾ら映画で表現しても無駄なのだ。所詮、冤罪を受けた者しかその痛みは分からない。だからそういう心理描写は極力廃止し、ちょっとしたシーンで語らせるだけでよいという事なんだなあ。

主人公アンディ・デュフレーンは、妻とその愛人を殺害したという罪で終身刑を2度言い渡される。この州では恐らく死刑は無いのだろう。その代わり、永遠に収監されてしまう終身刑を2度言い渡されるのだ。日本における無期懲役と米国での終身刑との違いは、日本に於いては20年以上収監された場合に、その殆んどが仮釈放扱いとなって世に出られる可能性があるという事である。
米国における終身刑においても仮釈放の可能性はあるが、この映画で語られるようにその可能性は著しく低い。特に主人公のように2回の終身刑を言い渡されているような重大犯罪人には不可能であろう。

不幸なのは、そのようにして長期収監されてしまった囚人が、年老いて仮釈放になっても社会に適応できないまま自らの死を選択してしまう事がある、という事だ。映画の中でもブルックスという老人が、仮釈放になりたくないために、同僚の囚人を捕まえて騒動を起こし、仮釈放を棄却させようと企む場面があるが、この場面は本当に痛々しい。50年間牢獄で過ごした世間知らずの70歳の老人が、何の後ろ盾もなく一般社会でどう暮らして行けば良いというのか。それは本当に彼のためになる事なのか。むしろ監獄の中で、与えられた安定に身を委ね、自由こそ無いものの余生を送らせていくべきではないのか。本当に考えさせられてしまう場面であった。

映画的な表現として非常に上手いなと思ったのは、ポスターの変遷である。アンディが脱獄用に掘る穴を隠すために、調達屋のレッドにリタ・ヘイワースのポスターを注文する。
この時、リタの主演映画「ギルダ」が刑務所内でも上映されるのだが、その後ポスターはマリリン・モンローになり、最後はカラーのラクエル・ウェルチになる。
リタ主演の「ギルダ」が1946年公開であり、モンローの有名な「七年目の浮気」は1955年公開、ラクエル・ウェルチの「恐竜百万年」は1966年公開。すなわち、このポスター3枚だけで刑務所生活が20年の長きに渡っているという事を暗喩しているのだ。そしてポスターは10年単位で張り替えられる。映画好きだけが分かる、非常に楽しく気の利いた小細工であった。こういう表現手法は大好きなので、ウェルチ嬢のポスターが貼られているシーンが出てきた時、思わずおおっ、なるほどと唸ってしまったものである。
レッドの仮保釈面接のシーンが、やはり10年単位で行われているので、映画に詳しくなくても20年という歳月を見る側が理解することが出来るのだが、それに先んじてポスターで表現しておくという点に、小細工までに拘る監督の、この映画に対する思いを感じる事が出来た。

余談であるが、原作に於いて主人公を冤罪に陥れた実の犯人は、スティーブン・キングの小説「死体(スタンド・バイ・ミーという題名で映画化)」において、弁護士クリストファー・チェンバーズ(スタンド・バイ・ミーでは、リバー・フェニックスが演じた)を殺した犯人として捕まっているそうである。