オハ31系客車の表記で悩む

オハ31系のリメイクをやっているんですが、なかなか進みません。うだうだやっているうちに梅雨になってしまい、塗装が出来なくなりました。いつもこんな感じで全然進まないんですけれども、もう少しなんとかしないとダメですね。

で、客車の表記についてです。まずは表を見てください。

いわゆる10系軽量客車以前の「旧型客車」はその時代によって車体表記がかなり異なります。ですから、時代考証とかをきちんと考えようとすると、どの時代の塗装やレタリングにするかでかなり悩まされる事になります。

KATOのオハ31系は赤帯の入ったスタイルで販売されていますが、これは昭和14年以前のものになります。つまり、C57の二次型のように昭和15年以降に製造された機関車だと、赤帯付き客車を牽引させるのは変という事になります。

そもそも戦後の国鉄を考えるのなら、まず赤帯は無しという事になりますね。まあ、それはいいでしょう。

昭和34年の、ぶどう色2号の登場とともに、三等マークが消えます。一度に全車変更したわけではないと思いますから、ぶどう色1号+三等マークの車両と、ぶどう色2号の車両の混成編成があってもおかしくないと思います。ただ、この時車体表記も違ってきます。

昭和27年から、所属表記が形式番号の上に書かれるようになりました。さらに形式記号と番号が横並びに書かれるようになります。そして、昭和34年のぶどう色2号登場時に、所属表記は現在の車体隅に移動します。うーん面倒くさい(笑)

で、オハ31です。

ウチのレイアウトは昭和40年代から50年代前半を想定しているので、オハ31系は時代にそぐわない感じです。ただし形式消滅したのは昭和41年なので、ギリギリ何とか入線出来ない事もないという感じ。

そうなると、ぶどう色2号にして三等マークは無しというスタイルになりますね。この時代の最末期のオハ31は、二重屋根の明かり窓が潰されており、かなりみすぼらしいスタイルになってしまっています。それも面白いと思うので、1両はそのスタイルにしましょうか。明かり窓潰すのがスゲー面倒くさいです。

明かり窓を潰した最末期のオハ31。ぶどう色2号で塗るとなんかダサい感じが強調される気がします。屋根のグレーがおかしいですね。煤で真っ黒に汚れた感じにウェザリングをしたいです。

あまり車体改造しないで、塗装だけを塗りなおしたいとなると、昭和27年から34年までの表記にするのが汎用度が高くて無難と思います。ぶどう色1号、所属表記が形式番号の上。三等マークあり。問題は、そういう市販レタリングがない(あるかもしれないけど、簡単に手に入らなそう)という事。自作デカールで行くしかないですかね。これも面倒くさいなあ。どうせセミフリーですから所属は「関スイ」にしちゃおう(笑)

こちらはオハ31改造のオハフ30。緩急車が無いのがKATOラインナップの気に入らないところ。車掌室の加工、妻板の加工をしたほか、明かり窓を開けています。ぶどう色1号で塗りなおしています。

もう一両はシングルルーフのオハ30。木造車の鋼体化でノーシルノーヘッダーという出で立ちです。単にリベットとシルヘッダーを削ってGMの丸屋根を切り繋いで乗せただけですが、実車は窓サイズがスハ32系と同じで少し縦長なので、独特の風貌がうまく再現できませんでした。これはいずれ作り直しかなあ?

***

KATOにはオロ30という、少し特殊な2等車があります。試作車両として2両しか作られなかったもので、オハ31系の2等車としてはオロ31のほうが一般的です。
ただ、意外と長命で、昭和36年に格下げとなってオハ27に編入されるまで残りました。

ぶどう色2号にしてオハ27にするのが1つ。オロ31のままにするなら、オハ31と同じく昭和27年以降のスタイルにするのが良さげですね。2等帯は青1号。こちらはまだ未加工です。格下げオハなら明かり窓をつぶして、オロのままなら明かり窓を開けるようにしましょう。

もう1形式、オハニ30があります。こいつは合造車なのでオハ31系の中では長生きしました。昭和42年に全廃ですので、ぶどう色2号のスタイルもありです。最末期にすれば、青15号の客車たちとも繋げられそうです。こちらも未加工。妻板の加工など、手を入れるところがたくさんありそうです。

これら未着手の車両たちも再塗装をしてレタリングなんですけど、インレタが無いので自作デカールを検討中。まだまだ先は長そうです。

 

 

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西大寺風の客車

うっかりしていたら2ヶ月も更新サボっていました。艦これのイベントが始まると他の事が疎かになりますねえ(苦笑)

それはさておき。

先般作成した西大寺風の単端ですが、西大寺鉄道っていうと単端がオープンデッキのボギーの客車を何両も牽いている写真が目につきます。これを何とか再現しようというわけで、手持ちのバルク材を使って2両の客車をでっち上げてみました。

1両目はスハ44のボディを窓4枚分で切り、2枚つなげたものを側面にしています。

屋根は丸屋根のスハ32用の切り継ぎ、その上にモニター屋根風にプラバンを貼ってあります。台車はKATOのコキ5500用。TR63というベッテンドルフ崩れの形ですが、まあ菱形台車に見えないこともないです。この段階では大げさなブレーキシューが付いていますが、最終的には切り取ってしまいました。

2両目はスハ32の側面を窓10枚分で切っています。これでだいたい1両目と同じサイズになります。屋根は同じくスハ32用。こちらの台車にはTR24を使いました。鋳造菱形台車とも言えるもので、ワキ1で採用されたもの。チキ1500にも使っています。

デッキはキッチンのチビ客車改造用パーツです。以前作ったものの再利用なので多少歪んでいますが気にしません。屋根も再利用なので妻板部分が茶色く塗られていますが、最終的にここは左のようにプラバンで蓋をしてしまいました。

特に難しい加工もなくあっという間に完成。塗装に時間が掛かってしまいました。車体はブドウ色2号に白帯。白を先に塗ってからマスキングしてブドウ色を塗っています。この車はスハ32を使ったので裾にリベットがあるんですが、下地仕上げの時に不用意に削ってしまったようです。こういうのは完成してから分かりますね。困ったもんですが、肉眼では気にならないのでこれでOKとしています。

屋根は自家調色の屋根色。思い切り艶消しにして、多少まだらに吹く事でウェザリング効果も兼ねています。

台車が大きいのでバランスが悪いんですが、往年の16番フリー客車っぽい感じに仕上がったので満足しています。あと2両くらい作りたいですね。それには台車とデッキ手すりがネックです。TR24は10m級客車には大きすぎるので、もう少しホイールベースを短くするか、車輪径を小さくしたいですね。そもそもNゲージ用のTR24はなかなか手に入りません。アルモデルのアーチバー台車に4mm径車輪のものがありますので、これを使うのが良さげです。次は採用しようかな?全く同じものを増備しても面白くないので、またGMキットを切り刻んで変な客車を増やす事にしましょうか。

とりあえず2両を先日作成した西大寺の単端につなげてみると、実に良い感じに仕上がりました。

下回りにキングポストを付けて塗装し、窓ガラスとレタリングを入れたら完成になります。GW中には終わらない気がします(苦笑)

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西大寺風の単端(2)

前回の続きです。チビ客車の新動力を使った西大寺風の単端が簡単に出来上がってしまったので、味を占めてもう一両作ってみる事にしました。

西大寺には、キハ3~5と同じ車体ながら猫顔スタイルのキハ1~2、有名な湘南型前面にバケットを付けたボギーのキハ6~7、そして四角いデッキ付きボギー車のキハ100と、それを2つに分割して単端式にしたキハ8、キハ10がいました。

今回は、その中からボギーをぶった切って作ったキハ10タイプを作ってみました。あまり模型化された記事を見たことのない車両です。

こちらはスハ44車体の切り継ぎです。前面も切り継ぎ加工なんですが、ベースは内緒にしておきましょう。

実車はボギー車を2つに切って単端2両を拵えたという模型みたいな車両で、寸づまり感が可愛らしいのですが、こちらはチビ客車動力を使う関係で窓1個分長くしたので、落ち着いた印象になってしまいました。なのでフリーランスと割り切って、デッキ側の窓は思い切って廃止にしてしまいました。

実物はどうやら、デッキ付き車体の中間で切断して、そこに流線形前面を新設したようです。キハ6~7のような流線形前面を再利用したと思い込んでいたので、これには驚きました。また、キハ8と10では窓配置がかなり違っているようです。

もう1両、キハ8を作る時には別の動力をあてがって、よりスケールに近い?ものを作りたいです。

9mmスタンダードでナローの車両を作るのは、意外と面白いです。サイズ的にもHOナローとあまり変わりません。特に私はGMキット改造縛りという謎の制約を付けていますので、素材を選ぶ楽しみとデザインの苦しみが面白いと思いました。
自由形では、そうやってあれこれ考える時間が一番楽しいのです。意外と作り始めると詰まらない(苦笑)

一方で、Nゲージの下回りを使う事で走行性能が安定するのはとても有難いです。
Nナローが停滞しているのは一にも二にも動力です。ロクハンのショーティーはよく走りますが使いづらい。スケールモデルは値段が高すぎるので転用が難しい。そんな感じなのでNナローは開店休業中。

そういう事もあって、しばらくは、この方向でやってみようと思います。

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西大寺風の単端を作る(1)

その昔、TMSの特集シリーズに「小レイアウトと小型車両」というのがありました。中村汪介氏による名作「三津根鉄道」のレイアウトと、好ましいスタイルの小型車両を特集した本です。

その中に「単端と客車」という記事がありました。西大寺鉄道のキハ3~5を16番で作ったもので、そのデザインのまとめ方が素晴らしく、私も16番で作った事があります。

今回、Nゲージでこれをリメイクしてみました。

そもそものキッカケはリニューアルされたチビ客車動力。これが物凄く良い出来で、低速が効き、ナローの下回りには最適と思います。が、この動力を入手した直後くらいにHOナローの廃業を決めたので、結局下回りは使わずじまい。そのうちOn18用に使おうかと温存していました。

この動力を使ってNゲージの小型車両を作ろうと思い立ち、第一弾としてキハニ5000タイプを制作。これが妙に気に入って、もう1両小型の気動車を作ってみようと思ったときに、三津根鉄道の単端を思い出したというわけです。

ボディはグリーンマックスのクモハ41を切り継ぎ、窓桟を切り取って1枚窓にしています。前面は同じくGMキットのクモハ11用。後妻板も旧国キットの余りパーツを使っています。屋根は旧型国電用を使い前面のみエポキシパテ整形で形を出しました。
ベンチレーターはGMのガーランド型。
ヘッドライトは火あぶりランナーからでっち上げ。ドアやラジエターグリルはプラ板から作っています。

 

この車両から「小型車ニハ運転手ト乗客ヲ乗セルベシ」という新しい規定を作りましたので、とりあえずジオコレのザ・人間シリーズから適当に取り付けています。意外と目立つので、今後も積極的に人形を使っていくつもりですが、製品は高価なので自作も検討中。

下回りはチビ客車動力ですが、前側をギリギリまで削っています。そこにKATOカプラーをポケットごと接着。後ろはチビ客車のままです。

チビ客車動力は車体にはめ込むのが難しく、何度も落としてしまい、手すりが折れてしまったので、荷台ともども網目板と真鍮線から作り直しています。

Nゲージの小型車両はビンテージものを中心に結構所有していますので、これらを活用出来る小さなレイアウトの作成を目論んでいます。そのため、三津根鉄道にあやかって、「ねずきゅう木津根線」と名乗る事にしました。

しばらくはこの路線で小型車両を作っていこうと思います。
この車は大のお気に入りになりました。味を占めてもう一両作ってあるのですが、その話はまた次回。

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模型の定例会に参加してきました。

コロナ禍が始まってから自粛していたナローゲージ同好会の定例会に3年ぶりに参加してきました。素晴らしい作例に触れることができて、充分に英気を養う事が出来ました。

いつもの通り、HOn3の大きな車両たちがゆっくりと周回していました。サウンドも付いていて実感的です。

最近はレーザーカットによるガレージキットも増えてきました。我々同好会の重鎮的存在の小泉さんが作ったキットを「地鉄電車」でおなじみの宮下洋一さんが組み立てたもの。

こちらはIORI工房の客車キットをU太さんが組み立てたもの。ペーパーキットに慣れておらず工作が大変だったそうです。普段金属キット中心に作られている方々がペーパーキットに苦戦されているという話を聴き、面白いなと思いました。

ナローではないですが、話題のディアゴスティーニの1/87キハ58もありました。オールダイキャストでクーラーや床下機器はプラ製です。意外とすっきり出来ていて感心したのですが、ひっくり返して床下を見てびっくり。カプラーポケットがそのまんまNゲージのKATOのやつですね。クハ481はTOMIXコピーだったそうですが、これはKATOコピーなんですねえ。今は3Dスキャナのおかげで、こんなスケールアップも簡単に出来るようになっちゃいました。ただ、版権的にどうなのよ?と思わないでもないので、問題にならないうちに入手しておいた方が良いかも??

HOn3といえば、こんな車両もありました。つぼみ堂が作った木曾のボールドウィン。
16番と、HOn3、HOn2-1/2の3種類のゲージで製作されていたものです。昔はまだ9mmナローという分野が認知されておらず、16番でナローゲージ車両をアレンジした製品とか、工作記事がTMS誌上で散見されたものでした。

実は、それらのナローゲージを16番化したものをNゲージでリメイクする、みたいな事を初めています。

まずは手始めに西大寺鉄道の単端式を2両作ってみました。この製作記事から本格的にブログ再開です。

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初めて買った模型雑誌

あなたが初めて買った模型雑誌は何ですか?

私の年代だと、鉄道模型専門誌はTMSしかありませんでしたので、最初に買ったのは必然的にTMSという事になります。

TMS1972年10月号、通巻292号が最初の鉄道模型雑誌です。11歳、小学校5年生でした。最初に読んだTMSの影響力は、今考えるとものすごく高かったように思います。

この号では、巻頭グラビアにEF50が掲載されており、図面と宮本秀夫氏による製作記事が載っています。

巻頭の小寺康正氏による、EF58の試験塗装機とのツーショットには痺れました。こんな優雅な輸入機関車がいたのを知らなかったので、強烈な思いが残っています。未だに国鉄F級電機で一番好きなのはEF50かもしれません。ゴハチの4号機の試験塗装も大好きで、KATOから試験塗装セットが販売されたとき、4号機の単品だけヤフオクで買ったくらいです。

久保田富弘氏の国鉄9900。D50じゃなくて9900という形式にも惹かれましたねえ。

C.S.スモール氏のLGB庭園鉄道の記事もこの号でした。ジャンパ栓で重連にしたSL、総支配人のMr.Tanuki氏なども忘れられません。

製品の紹介ではトビーのC58が。欲しくても買えない機関車でした。のち、宮沢のC58を買おうとしたのですがこれも入手できず。C58は模型的にはとても都合の良い中型万能機なんですが、模型には恵まれていません。

古典機のパイピング、Nゲージの架線集電レイアウト「扶桑鉄道」と来て、白眉はエコーモデルの阿部さんによる尾小屋鉄道の紹介記事(2回目)でした。

私は最初からナローゲージに取り憑かれていたんですね。

ここから毎月、TMSを買い始め、翌年には伝説のダックスストーリーが始まり、その年の10月に片野正巳氏の玉軌道でノックアウトされてしまいます。

そして、クリスマスプレゼントにミニトリックスのT3を買って貰い、上回りを何故かアルミ板で自作して(ハンダ付けはまだできなかったので接着材で作った)ナローの機関車をでっち上げます。

その時余ったボディが、半世紀の時を経て、今蘇ろうとしています。
完成まであと少し。

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さよなら「マッコウクジラ」

といっても、先日大阪湾に流れ着いた本物の鯨ではありません。

去る1月19日に、元営団地下鉄3000系、現長野電鉄3500系が引退したのだそうです。

銀色のセミステンレス車体で、先頭部の広いオデコが特徴です。このデザインから「マッコウクジラ」と呼ばれて親しまれてきました。
営団地下鉄時代には日比谷線で活躍。地下鉄車両特有の、小さなドア窓がダサくて、子供時代にはそんなに好きではありませんでした(苦笑)。日比谷線にはあまり乗る機会がなく、馴染みが薄かったというのもあると思います。

東武伊勢崎線、東急東横線と3社乗り入れを行っており、北は東武動物公園、南は菊名まで走っていたので、伊勢崎線や東横線でも良く見かけた車両です。特に同じセミステンレスの東急の6000系と並んだ姿は、両車ともに癖のある個性を感じさせました。

80年代後半からの営団地下鉄の冷房化に伴い、多くの車両が長野電鉄に譲渡され、それまでの「赤ガエル」こと長野電鉄2500系(旧東急5000系)を置き換え、新しい長野電鉄の顔になりました。

仕事で長野へ訪問する機会が増え、長野電鉄沿線にも良く行ったので、私にとっては日比谷線よりも長野電鉄の印象が強い車両でした。

本線、屋代線ともに八面六臂の活躍だった3500系ですが、末期には信州中野-湯田中間の定期列車として使われていました。2両編成でリンゴ畑の中を縫っていく姿が微笑ましく感じられたものです。

車内のファンデリアカバーには営団地下鉄マークが残っていました。

こちらは今は無き屋代線。出張で長野に行ったときによく利用しました。お客さんのところで「長電で来た」っていうとビックリされたものです(苦笑)。

模型では、鉄コレから出ていた3両編成の長電3600系を持っていますが、2両編成の3500系のほうも欲しいです。

なんだかんだ言いながら、私鉄車両では結構好きな車両になっていました。無くなったのは残念ですが、これも時代の流れでしょうか。

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新春一作目は細倉鉱山の人車

明けましておめでとうございます。
と、書いてみましたが、実はこのブログ、まる1年サボっておりました(苦笑)

昨年は何もかも中途半端で纏まらず、仕掛品を少し仕上げた程度で、Nゲージのレイアウトも殆ど進捗無しという有様でした。

定年リタイヤの影響で、気力が続かなくなったのが一員かもしれません。何をやっても中途半端。少し手を出しては飽きてしまうという悪いパターンが続いておりました。

しかし、その定年鬱も1年過ぎれば何とかなってくるもので、徐々にペースを取り戻しつつあります。そんなわけで、今年は昨年の分も含めてたくさん製作&ブログ更新していくつもりなので、宜しくお願い致します。

で、今年の第一作は昨年から作り始めていた、On18のスクラッチ。細倉鉱山タイプの8人乗り人車です。

https://www.kurihara-kb.net/publics/index/43/

実物は細倉マインパークに2tGLや鉱車などと共に保存されていますので、採寸なども可能と思いますが、「ゆる模型鉄」なので数枚の写真から適当にデッチあげています。従って「細倉タイプ」とさせていただきました。

車体は下回りのフレームに真鍮のチャンネル材(手に入らなくなりましたね)を使い、あとはプラ板とプラ棒から作ってあります。ベンチの木の板は実物どおりに木製です。駅弁の薄い経木を使いました。

車体はかなり凝ったデザインになっており、これの表現には一苦労。実物より少し長さが短く、かつ背が高くなっているように思います。車体横に付く掴み棒は実物同様可動式。細い真鍮パイプの片方を潰して穴をあけ、真鍮線で車体に取り付けてあります。

下回りはインサイドフレームなので、ベースをプラ角材で作り、そこに1t真鍮板から切り出したフレームをねじ止め。Nゲージ用の中空軸を嵌めています。ここで、フレームが左右絶縁できていることに気づいたので、載せる人形にライトをつけてみることにしました。

人形はタミヤのロシア兵を改造したものです。ヘルメットを段付きタイプに改造し、中をくり抜いて小型のLEDを組み込み、頭から胴体にリード線を通して台枠に半田付けして点灯可能としました。3人とも点灯式にしたのですが、工作中に真ん中の人の線が断線したらしく、両側の人しか点灯しません。直すに直せないのでそのままにしてあります。

塗装はグレーで、側板を中心にチッピングしてみました。最終的には屋根も含めてもう少しウェザリングしたいところです。

さて、新年第一作は地味な車両ながら、久々のフルスクラッチになりました。
今年はOn18をベースに、Nゲージ自由形をやっていこうと思います。3年越しになってしまったNゲージレイアウトも、平行して作っていきます。

では、今年も宜しくお願い致します。

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「クモハ」の「ク」はクルマのク。

更新ネタが乏しいので、twitterで仕入れた話題から一席。

***

小さいころ、交通博物館に行った時に買ったガイドブックに、車両記号の説明が書いてありました。

それによれば、

「ク」はクルマのク、「サ」は「さぶらふ(候ふ)」のサだというのです。

さぶらふってのは、仕えるとか傍に控えるとかいう意味です。

電車が誕生し、このような車両記号が生まれたのは明治37年の甲武鉄道の電車の誕生からです。当時の形式は、電車を表す「デ」のみ。

その後、大正3年に最初の本格的電車として、デハ6340系が登場します。この時、電動車ではない付随車両としてクハ6420とクロハ6190が登場しました。電動車ではないクルマなので、クルマのクを称号としたようです。

ところが、クロハ6190は運転台の無い中間車であって、そのため中間車としてのサの称号が大正4年に制定され、サロハ6190に改称されました。

大正4年という時代ですから、その記号の出自として「さぶらふ」という古めかしい言い回しを使っているのは変ではありません。むしろ自然とも言えるでしょう。

称号改正については鉄道院、鉄道省時代の資料が残っているのでその信憑性は高いのですが、残念ながら出自は説明されていません。しかしながら、交通博物館という鉄道省直轄→財団法人日本交通公社運営の組織が出版した書籍に記載されていたのですから、その信憑性は一番高いのではないかと考えています。

ところが最近、異説が頻出しているんです。
たとえば、あるネットの記事にこう書いてありました。

「ク」は駆動車のク、「サ」は差し込まれるのサ。

駆動ってのはエンジンありきなので、それにクを宛てるのはおかしいでしょう。出自が明らかでないので信憑性は薄いですね。

また、別の記事にはこう書いてありました。

「ク」はくっついて走るのク、「サ」は挟まれるのサ。

問題はこの出自で、「鉄道図書刊行会」が発行している「鉄道用語小辞典」に記載されているといいます。

しかし、鉄道図書刊行会は私企業であって、国鉄の正式な組織ではありません。従ってこの由来の信憑性も非常に怪しいと言わざるを得ないです。

いったい、どこのドイツがこんな適当な言説を広めたのか分りませんが、今となっては完全な出自が分らない以上、「諸説あります」と言わざるを得ないでしょう。

鉄道記号・称号にはこの手の怪しい名称設定が沢山ありますね。

クモハのモはモーターのモ。これは分かりやすい。

1等車がイ、2等車がロ、3等車がハ。等級変更で1等車がロ、2等車がハとなり、さらに等級制廃止があって、グリーン車がロ、普通車がハとなりました。これも分かりやすい。

寝台車はネ。寝るのネ。
荷物車の二、郵便車のユ、食堂車のシ、展望車のテ、この辺も分かりやすいです。

事業用車には不思議な記号があります。

職用車の「ヤ」は役所・役人の「ヤ」 国鉄が鉄道省だった時代の名残りでしょうか。
配給車は「ル」。「部品を配る」の「ル」だそうですが、ほんとかな?
暖房車は「ヌ」。「温もり」の「ヌ」。まあなんとなく。

客車は重量によって称号が分れています。

コホナオスマカという7区分。一番軽いのがコ。小型のコ。
二番目がホ。ボギー車のホ。ナは並。オは大型。というのが定説。

スは?スチールのス。昔の客車は木製で軽かった。だから鋼製客車は重かったんですね。
お次はマ。スチールより重たい、これ以上の重さは無いだろうというのでマキシマムのマを当てました。

ラストのカ。これが面白い。まさかそんなに重たい車両が出来るとは思わなかったので、これはカナワヌの「カ」となったそうです。

これは、「客貨車工学」という本に書いてあります。著者は小坂狷二氏。鉄道院工作局車両課に勤務し、客貨車の設計に従事していたそうなので、この説明の信憑性は高いです。

貨車にも重量標記があります。荷重量によって「ム、ラ、サ、キ」に分れているんですが、これが面白い。出自は前述の「客貨車工学」

小坂氏が新しく15t有蓋車(ワム19870形)を設計した。軍馬を輸送するために設計したもので、形式記号に「馬(ムマ)」積みに適するという意味で「ワム」の名称を当てたそうです。
ところが、その後15t無蓋車が出現したら、世間で「トム」と通称し出したので「ム」を積載重量15tを表示することとし、ラ、サ、キを追加したようです。まさか世間の通称がそのまま記号になってしまうとはね!意外とこういう事例は多いのかもしれません。

ちなみに貨車記号も面白いですね。

有蓋車は「ワ」という。ワゴンのワ。(何でBOXCARのボじゃないんですかね?)
無蓋車は「ト」、トラックのト。
コンテナ車の「コ」、車運車の「ク」、タンク車の「タ」、冷蔵車の「レ」、石炭車の「セ」などは分かりやすいんですが、

鉄側有蓋車「ス」は、スチールのス(客車重量と同じ由来)
鉄製有蓋車「テ」は、鉄のテ。スが使われてしまったのでやむなく。
長物車「チ」は、元々は木材運搬車。木材を意味するチンバー(timber)のチ。
陶器を運搬する陶器車は「ポ」。porcelanoのポ。陶磁器を意味するエスペラント語。
雪かき車「キ」は雪のキ。
活魚車「ナ」は、生魚の「ナ」
水運車「ミ」は、水の「ミ」
控車「ヒ」は、控えるの「ヒ」
ブレーキの付いている車両にはブレーキの「フ」が付く。「ワフ」「コキフ」など。

ところが貨車は分類が多すぎて記号が枯渇してしまいました。そこで、意味のない記号を付与された貨車もあるそうです。土運車「リ」、豚積車「ウ」、車掌車「ヨ」など。

豚積車に、豚はウーウー鳴くからという説明を見た事がありますが、豚はウーウー鳴かない!と一人で憤っていたものです。本書でその疑問は解消されました(笑)

土運車「リ」を砂利の「リ」、車掌車「ヨ」をしゃし「ョ」うの「ヨ」とする説もありましたが、それはどうやらこじつけのようです。

さて、「いろは47文字」しかないものを多岐に渡る形式記号に採用するのは無理がありました。どうしてもダブる意味をもつ記号が現れます。その最たるものが「キ」です。

「キ」は気動車のキ。
「キ」は雪かき車のキ。
「キ」は貨車で、荷重25t以上のもの。

3つを併用した車両は存在しませんでした。

ところが昨年、北海道で新型除雪車両が誕生しました。DE15型機関車の置き換えで、機関車運転免許の要らない、気動車仕様の雪かき車が誕生したのです。

当然、記号は「キキ」になるべきです。「気動車」のキと「雪かき車」のキ。

この誕生には「キキ」として喜んだのですが、実際に登場した車両は「キヤ291型」でした。実に「キキ」捨てならない名称です。JR北海道は名称付与に関する「キキ」感が足りないんじゃないでしょうかね!

おあとが宜しいようで。

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Nゲージレイアウトの製作(4) デッキガーダーを作る。

さて、新年一発目の工作は久々にNゲージレイアウトを弄ります。昨年暮れは車両ばかりやっていたのですが、そろそろレイアウトの方も本腰を入れないと完成しなくなりそうです。

駅側から見て右上のコーナーには、旧レイアウトで作った橋脚があるんですが、ナロー用だったので木造橋脚でした。これでは具合が悪いので、市販のデッキガーダーを買って来ました。

KATOのものはカーブ対応がありますので、それにします。ガーダーの色は悩んだ末にグレーを選択。これを3個繋げて丁度良い感じ。橋脚は丸型が用意されていますが、出来れば楕円形が使いたい。となると、橋脚はTOMIX製を使ってハイブリッド?鉄橋を作るしかありません。

TOMIXの橋脚はパーツを重ねて高さを調整できるようになっていて良いのですが、その分、重ね部分の出っ張りが実感を損ねてしまいます。そこで、出っ張りを削って全体をグレーで塗ってみました。側面はレンガ張りなので、元のカラーのままウェザリングで調整。

ここにKATOの単線用架線柱の橋脚基部を接着し、架線柱を差し込めば出来上がり。

早速レイアウトに設置してみます。まあ、こんなもんか。

接地する部分は周囲を紙粘土で固めておきます。ここら辺のディテールアップは最後にまとめて実施の予定。

架線柱は基部に差し込んであるだけですので、抜けば非電化になります。このあたりはボシさんのレイアウトを参考にして、電化/非電化両方に対応できるようにする予定。

 

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