No.0 MICHIO AOYAMA



ホエールズトランプ

「壊れた信号機」

青山 道雄

外野手 右投右打

通算成績:打率.154 3本塁打 19安打 (実働6年)
経歴:プリンスホテル-西武(84年・ドラフト3位)-大洋(90年〜)
背番号:0


83年のドラフトで渡辺久信、辻発彦に次ぐ3位で指名され西武に入団。俗に言う「プリンス枠」である。
3年間泣かず飛ばずで2軍落ち、89年にようやく1軍昇格するもヒット0。
90年、残務整理トレードで駒崎・秋元と共に大洋入りした(交換相手は河野誉彦・村岡耕一)。

時は背番号0ブーム、大洋初の背番号ゼロは河野が付けていたが、トレードによって青山が引き継いだ。河野は背番号0での公式戦出場は無く、よって青山が大洋ホエールズ最初で最後の背番号ゼロの栄光に輝く。

大洋移籍後の90年、初本塁打を記録するなどして代打兼守備固めとして多少は頑張ったが91年には2軍落ち。92年、代打&代走&守備固めで1軍に復帰するも、スタメン獲得までには至らず野球人生を終える。

しかし、この青山の現役時代を語るのに忘れられないのが92年9月9日、対巨人戦宮本投手より放った代打逆転満塁ホームランであろう。
この試合、ラジオで聴いてて吼えました、わたし。
この日6打点と全プロ野球人生の1/3以上を稼ぎ出し、最後のろうそくに力強く火を灯して引退。

だが、青山の栄光の野球人生は現役引退後から始まった。
引退後横浜ベイスターズの2軍外野守備走塁コーチに就任。96年一軍コーチに就任するやいなや、3類コーチャーズボックスに仁王立ち。
やる気のないベイスターズ選手の走塁にハッパをかけるごとく右手を振りまわし無理やり本塁に突入させ、憤死の山を築くという愉快なコーチ人生まっしぐら。
以後、敬虔な大洋ファンに「壊れた信号機」と罵られ称えられ現在に至る。
一時期、二軍に降格していたが、2007年より一軍に復帰。

残念ながら野球カードは存在していない。
浜スタ限定販売の大洋ホエールズトランプに、その勇姿を残すのみである。
現役時代の写真は貴重かも?

2006.10.4 改定
CARDLIST
横浜大洋ホエールズ時代
ホエールズトランプ
'89 #♠:2
'90 #♥:3
西武ライオンズ時代
未確認
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カードで見る大洋選手名鑑