投手 右上手投右打
通算成績:36勝52敗3S 防御率:3.86 (実働8年)
経歴:東宇治高−大洋(84年-92年)−横浜(93年)−阪神(94年) 83年ドラフト4位
背番号:54(84-91年)−14(92年)
横浜大洋の大投手「遠藤一彦」と同じ「カズヒコ」という名前を持ち、しかも投球フォームも良く似ていて「遠藤二世」と呼ばれた。
だが、最高でも8勝どまりで、名実ともに「遠藤二世」というわけには行かなかった。
85年のジュニア・オールスター戦で肩を痛めてしまったのがケチの付けはじめだっただろうか。
87年に遠藤がアキレス腱断絶で戦列を離れた後、一時は先発ローテーション入りも果たしたが、その後中継ぎ、押さえに回っていく。
90年6月24日の広島戦でアレンに死球を投じ、怒ったアレンに外野まで追い回されるシーンは現在でも珍プレーで放送されたりするのでお馴染みだ。
大洋最後の92年には、阪神に移籍したパチョレックの後を受け継ぎ背番号14を背負う。この年ドラフト4位で入団した斉藤肇が背番号54を引き継いだが、「大門に憧れていた」などと妙なお世辞を言ったのは失笑ものであった。
一時は阪神キラーとしても活躍したが、93年には再度の怪我で肩を手術し、遂に一軍に出場できず、そのためもあってか、大量解雇事件の当事者の一人として自由契約となり、阪神に移籍したのは皮肉であった。
引退後、ソニー生命の社員としてサラリーマンに転身するが、2002年に独立。野球教室やボランティア活動なども行っている。
自ら経営する会社のホームページにはblogも設置されているので、興味のある方はご覧頂きたい。
余談ではあるが、93年のベイスターズ応援歌CDに大門の曲がある。
「男意気カズヒコ カーブが切れるぜ ワインドアップすれば もう三振ラッシュ」
というものなのだが、大門はノーワインドアップ投法である。実にいい加減な歌詞であった。
カードはカルビー、タカラ、BBMと、経歴の割りには豊富。
2006.12.17