「大ちゃん」
山下 大輔
内野手 右投右打
通算成績:打率.262 129本塁打 1378安打(実働14年)
ダイヤモンドグラブ:(76-83年) シーズン最多刺殺率:(.281 78年)
経歴:大洋(74年(D1)-87年)
背番号:20(74年)−1(75年-87年)
お金持ちのボンボンで、慶応大学出身、ルックスも良いという事で平松に次ぐ大洋のプリンスに就任。
しかし、大洋というチームはそんなに甘いチームではなかった。
77年ごろから急速に毛髪が後退。79年、中日から移籍してきたマーチン師匠にヘルメットから帽子への被りなおしの早業を伝授される。
引退後、開き直り、川崎球場最後の試合のコメントでは「あの時はボクもまだ髪の毛がたくさんあった」とか、2003年横浜ベイスターズ監督に就任するに至って、自ら「"明るい"ベイスターズを目指す」などと自虐的ギャグを飛ばす事が出来るほどに成長した。
守備の上手い事では定評があったが、これこそ、ボイヤーに徹底教育された成果である。
ボイヤーという師匠が居なかったら、ここまで活躍出来たかどうか分からない。
バッティングについては今ひとつという感じで、とにかくチャンスに弱い印象がある。
2003年から2年間、横浜ベイスターズの監督を務めたが、結果的に2期連続の最下位に終わり、しかも100敗間近という屈辱のドンケツであった。
色々と言い訳もあるようだが、負け試合の半分くらいは采配ミスであったような気がする。
2005年、新球団東北楽天ゴールデンイーグルスのヘッドコーチとして就任したが結果を出せず、約1ヶ月で二軍監督と入れ替えになってしまった。その後、東北楽天の編成部長に就任。
2006.5.30改定