投手 右上手投右打
通算成績:201勝196敗16S 防御率:3.31 (実働18年)
最多勝:70年、71年 最優秀防御率:79年 沢村賞:70年
ベストナイン:70年、71年 名球会
経歴:岡山商業−日本石油-大洋(67-84年) 66年二次ドラフト2位
背番号:3(67年)−27(68年-84年)
文字どおり70年代を代表する大洋のエースである。
松原に続く、大洋2人目の名球会選手。
高校卒業時のドラフトで中日ドラゴンズに指名されたが拒否してノンプロの日本石油入り。
66年の第二次ドラフトで大洋に2位指名。ゴネるが次はもう無いと思ったのか、何とか入団した。
そういうヤツに限って、200勝投手になったりするんだから世の中不思議なものである。
ちなみにこの時の1位指名は山下律夫。ドラフト不得意の大洋としては上出来であった。
入団当初から最多勝を獲得するころまでは、無骨な大洋選手の中にあって唯一の端正な顔つきという事もあって、「プリンス」などと呼ばれていたが、故障が多く、打たれ弱いため、だんだんと「ガラスのエース」と呼ばれるようになってしまった。。
「カミソリシュート」と呼ばれる、キレの良いシュートが武器であった。
巨人戦に強く、巨人キラーとして名を馳せたのだが、元々は巨人志望。
入団1年目の背番号は投手としては珍しく3をつけているが、これは長嶋茂雄にあやかったというんだから筋金入りの巨人ファンだったわけだが、翌年背番号を27に変えてから巨人キラーに成長する。
可愛さ余って憎さ百倍という感じなんだろうか。
78年には日ハム野村とのトレード話が出るが、結局杉山&間柴とのトレードとなり首が繋がった。
200勝、名球会入りにこだわり、ボロボロになっても投げ続けた。
83年10月23日、雨の後楽園、6回コールド勝ちで200勝達成。雨中の胴上げが今でも脳裏に焼き付いている。
現在はフジテレビの解説者としてお茶の間にもお馴染みであるが、結果論しか語らない、詰まらない解説は松原以下だと思うぞ。
何を勘違いしたのか、「愛してヨコハマ」というタイトルで歌手デビューまで果たしている。
人気選手だけあって、たくさんのカードが存在するが、中でもカルビー73年度のカードはどれも非常にカッコいい写真を使っており、素晴らしいものばかりである。
最近のBBMでもオールドヒーローの紹介という形でカード化されているが、同じ画像の使いまわしには正直ウンザリだ。
2006.5.30