No.33 KAZUMASA ICHIKAWA



タカラ60/85年 #33
「究極の見逃し?」

市川 和正

捕手 右投右打

通算成績:打率.284 89本塁打 1961安打
経歴:国府高−東海大−大洋(81年-92年)−横浜(93年) 80年ドラフト4位
背番号:33


76年ドラフト6位で近鉄から指名されたが入団せず、東海大に進学。
東海大では我が大洋の遠藤一彦が先輩にあたり、巨人の原辰徳、日ハムの津末英明とは同期に当たる。
首都大学野球で2年生ながら三冠王を獲得するなどの活躍を残し、80年ドラフト4位で大洋に入団。
期待されつつ入団するも、捕手王国の大洋ではさほど活躍の場を得られなかった。
83年に一軍に昇格した後、長く第2捕手を務めてきたが、88年には90試合以上マスクをかぶり、若菜の日ハム移籍によって89年にようやく正捕手の座に着いた。

市川といえば、珍プレー番組での、オーバーアクションの見逃しが一番印象深いのではないだろうか?
ハーフスイングを誤魔化すために珍妙なアクションで観客を沸かせ、「忍者打法」などと呼ばれていたが、本人に言わせると、この作戦は3年がかりで開発した「究極の見逃し法」なのだそうである。そんなの研究する暇があったら真面目にバッティング練習したほうが良いだろうに。
だが、このトリックプレーのおかげで珍プレー番組に名を残し、「東の市川、西の達川(注:広島の捕手)」などと呼ばれ有名になったのだから、何が幸いするか分からない。

だが90年には谷繁元信の成長で正捕手の座を追いやられ、西武から移籍した秋元宏作が第2捕手になった関係上、第3捕手の扱いとなる。
93年、ベイスターズになってからは遂に一軍登録を抹消され、シーズン終了直前の大量解雇の一人となりそのまま現役を引退。

引退後は保険会社のセールスマンに転身したが、マスターズリーグの東京ドリームス、札幌アンビシャスに参加している。

2007.04.15

CARDLIST
横浜大洋ホエールズ
TAKARA
'60/85 #33
'61/86 #33
'62/87 #33
'88 #33
'89 #33
'90 #33
'91 #33
'92 #33
横浜大洋ホエールズ
ホエールズトランプ
'89 #クラブJ
'90 #スペード6
'92 #スペードJ

カルビー
'90 #030
BBM
'91 #370
'92 #273

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