No.81 TAKESHI KOBA



87年テレホンカード
「錆びた名伯楽」

古葉 竹識

監督

大洋監督通算成績:162勝215敗13分

監督経歴:広島(75-85年)-大洋(87-89年)
背番号:81


1958年広島カープに遊撃手として入団。63年、大洋ホエールズの島田源太郎にデッドボールを受け顎を骨折。惜しくも首位打者のタイトルを逃す。
64、68年に盗塁王。70年に南海ホークスに移籍し、71年に引退後、そのまま南海のコーチに就任。
74年に広島のコーチに就任すると、75年、わずか15試合でフロントとの対立により帰国してしまったルーツ監督の後を継いで監督に就任。
その年、広島の初優勝をもたらし、以後、南海から抑えのエースとして江夏を獲得し79年、80年と連覇。84年にも優勝し、広島の黄金時代を作る。

85年に勇退するが、87年に広島時代のコーチングスタッフを引き連れ大洋入り。
大リーガーレスカーノを招聘し、今年はイケるぞと思ったが、近藤貞雄にむちゃくちゃに遊ばれたチームはそう簡単には治らなかった。

山下大、高木由などの大洋の顔とも言える選手が次々に引退し、田代の不振、遠藤のアキレス腱断絶など、傷口に塩を塗るような事件が相次ぎ、苦しい時代であったことは間違いないが、それにしても89年には土井に次ぐ年間80敗を記録するなど、いったいこいつのどこが名宰相なのだと勘ぐりたくなるような采配であった。
ひょっとしたら広島の送り込んだスパイだったのかも知れない。

と、こうやって書いてみると何やら2001年に就任した某監督と良く似た境遇と結果ではないか。
だから名前だけで監督を雇っちゃいけないんだよ。

成績は大した事はなかったが、ダッグアウトの隅で体半分出したりひっこめたりするというギャグを月亭八方が流行らせたことで妙に有名になった。

2003年には広島市長選、04年には自民党より衆議院議員選挙に出馬するがいずれも落選。

残念ながら大洋監督時代のカードは無く、広島時代のものが存在するのみ。

2006.6.2改定

CARDLIST
広島時代

Calbee
'76 #444
'76 #446
'77 #127

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