No.14 MICHIO SATO



タカラ79/54年
「南海の伊達男」
佐藤 道郎

投手 右横手投右打

通算成績:88勝69敗39S 通算防御率:3.15 (実働11年)
     最高勝率(72年) 最優秀防御率(70,74年)
     最多セーブ(74,76年) 新人王(70年)

経歴:南海(70-78年)-大洋(79-80年) 伊藤勲+田村政雄の2対1で獲得。
背番号:14


「佐藤ミチロウ」ではない。「佐藤ミチオ」。
「遠藤ミチロウ」と誤解されては困るからである(誤)

冗談はさておき、70年代南海の黄金時代を支えた名救援投手である。
「右の江夏」と呼ばれたほどピッチャー離れした太めの体型(苦笑)であったが、南海時代には大活躍した。
70年には新人ながら18勝6敗、防御率2.05で最優秀防御率と新人王を獲得。
後に阪神に行った江本が投げ、佐藤ミチで締めるという継投策で南海の黄金時代を築いた一人。
水島新司の「あぶさん」初期にもマンガで登場する。
77年、江本とのトレードで南海に江夏が来たので先発にスイッチ。
藤田学に次ぐ12勝を挙げたが、翌年は3勝しかできず、防御率も6点台という悲惨な成績で大洋に放出。

しかし、我が大洋は、そんな下り調子のピッチャーが再生できるような球団ではない。
投げては打たれ。投げては打たれ。
平松、遠藤、斉藤明、野村といった、セリーグ一線級の先発投手陣を擁していながら優勝出来なかったのは、彼ら先発陣が7回まで持ちこたえても、佐藤ミチにスイッチしたらボカスカ打たれて逆転負けしたからであった。
南海時代には頼もしかったビヤ樽体型も、大洋でボカスカ打たれてはただのデブとしか言いようがない。
と、書いておきながらふとタカラカードに書いてある身長と体重を見たら私と大差ないではないか(大汗)

そんな状態だったので、大洋時代の勇姿はタカラのカードに存在するだけである。
南海時代のカッコイイ写真はカルビーで10数枚カード化されている。
現在は、中日ドラゴンズの二軍監督。(2006年現在)

2006.5.30改定

CARDLIST
大洋ホエールズ時代
TAKARA
1. '79/54 #14
2. '80/55 #14
南海時代
Calbee
3. '76 #915
4. '76 #937
5. '76 #1108
6. '76 #1132
7. '76 #1177
8. '76 #1192
9. '76 #1327
10. '76 #1414
11. '77 #1436(BLACK)
12. '77 #69(BLACK)
13. '77 #87(BLACK)
14. '77 #155(BLUE)
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