「和製マントル」
長崎 慶一(啓二)
外野手 左投左打
通算成績:打率.279 146本塁打 1168安打(実働15年)
首位打者:(82年) ベストナイン:(82年) サイクルヒット:(78年)
経歴:大洋(73年-84年)−阪神(85年-87年) 85年阪神にトレード(vs池内)
背番号:23(73年-76年)−7(77年-84年)
81年より「啓二」に改名
大洋史上、ミヤーンに次ぐ2人目の首位打者。日本人選手では初。
そういう功労者を簡単に放出してしまうのが大洋ホエールズという球団なわけだが、一説によると性格が悪く、チームメイトからも嫌われていたとの情報もあり、それならば仕方の無いところか。
「和製マントル」(マントルはミッキーマントルの意味)などと呼ばれたこともあったようだが、背番号23を背負っていた70年代前半は、あまりチャンスに打てない選手であった。
長田の背番号7を貰ってから開花。特に78年に記録したサイクルヒットは本人にとっても転機になったのではないだろうか。
カードは大洋時代のものがほとんどだが、特にサイクルヒット等で活躍した78年のものが多い。
阪神移籍後にはタカラでカード化されているが、タカラのカードを見ていると年々太ってきているのが良くわかる。
引退後、新橋で居酒屋だか焼肉屋だかを経営しているそうだが、サインを貰っても「阪神タイガース」と書くそうであり、それがちょっと残念だ。
--2003.4 追記--
2003年4月の統一地方選挙で荒川区から立候補し、見事当選。