内野手 右投左打(両打)
通算成績:打率.297 88本塁打 1716安打(実働14年)
経歴:中央大-大洋(81-92)-横浜(93)-日ハム(94) 80年ドラフト3位
盗塁王(84)、ダイヤモンドグラブ賞(83)
背番号:16(81-82年)-3(83-93年)
入団当初は背番号16で外野手だった。
83年は、スイッチヒッターにも兆戦したが目が出ず、左打ちで固定。
84年、基の引退によりニ塁手に転向、スーパーカートリオで名を馳せ、盗塁王を獲得。
近藤サダオの大洋破壊工作でショートにコンバートされ、不遇の時代を過ごすが、古葉政権にスイッチ後、高橋雅裕との交換で二塁手の定位置を再度獲得。
90年には同僚パチョレックと熾烈な首位打者争いを行うが、残念ながら2位に甘んじた。
それを頂点にして、徐々に衰えていき、93年にはローズ獲得によって二塁をお払い箱になり、三塁や一塁を守らされるようになった。
それに腐ったのか、以前からもちょくちょく感じられた無気力怠慢プレーが目に余るようになり、その年の大量解雇事件の中核メンバーとして日ハムに移籍。
しかし、日ハムには優秀な二塁手白井が存在しており、たいした活躍もしないまま引退。
大洋銭ゲバ軍団の核弾頭として年棒問題でフロントと激突し、調停委員会にまで発展。希望は受け入れられなかったもののゴネ得で年棒アップに成功。
ゴネれば勝てるという大洋体質を身をもって教え、佐々木主浩らに多大な影響を与える。
アベレージヒッターであり、何故か女性にも人気があったらしく、そこそこカードになっている。
特に「スーパーカートリオ」として名を馳せ、80年代中期の「大洋の顔」的存在でもあった。
日ハム時代のものも、BBM/タカラでカード化されている。
2003.6.3
2006.5.31改定