No.17 RITSUO YAMASHITA



カルビー74年NO.191
「大洋の潜水艦」

山下 律夫

投手 右下手投右打

通算成績:103勝101敗16S 通算防御率:3.64 (実働16年)
経歴:近畿大−大洋(67-76年)−クラウン/西武(77年-81年)−南海(82年) 66年二次ドラフト1位
   76年末、関本(太平洋)とトレード
背番号:12(67-69年)−17(70年-76年)


秋山登以来久々に登場した下手投げのエース。平松とともに、弱小大洋投手陣の中で巨人キラーとして頑張った。
ゆらゆらと揺れて落ちる「山ボール」(現在のシンカーか?)を決め球にしていた。

ワタシが大洋を応援していたのは、1つめに地元球団であったこと、2つめに緑とオレンジのユニフォームが東海道線電車みたいでカッコ良かったこと、そして3つめには、平松、山下律、奥江などの巨人キラー投手がたくさんいた事が挙げられる。巨人に強いチームのほうが、応援のし甲斐があったのである。

10勝級の中堅であったが、74、75年と成績がぱっとせず、76年末に太平洋の関本四十四とトレード。このトレードは解せなかった。
案の定、移籍後クラウンで12勝、関本は0勝。本当に大洋はトレード下手である。

カードはカルビーのものが2種類残っている。移籍後のタカラは西武時代のものと南海時代のものが確認されている。じじむさい顔つきなので大洋のオレンジのユニフォームは全然似合わなかったが西武のブルーも全く似合っていなかった。

引退後、テレビ埼玉の解説者を勤めた時期もあったが、その後飲み屋で働いていた時に友人が会ったことがあり、彼から伝え聞いた話によると、当時テレビ中継は巨人戦くらいしかなく、テレビに映りたかったために、7時に放送が開始されるまでは、がむしゃらに頑張って投げたそうである。
その結果、巨人キラーになったようだ。
古き良き時代の逸話である。

2006.5.30改定

CARDLIST
大洋時代
Calbee
01. '73 #201
02. '74 #191
クラウン/西武時代
TAKARA
03. '81/56 #17
 
南海時代
TAKARA
04. '82/57 #17
 
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