投手 右上手投右打
通算成績:42勝33敗252S 防御率:2.41
大リーグ通算成績:7勝16敗129S 防御率:3.14(00〜03年)
MVP(98年)、最優秀救援5回、ベストナイン(98年)、正力賞1回、MLB新人王(00年)
経歴:東北福祉大−大洋(90年-92年)−横浜(93年-99年)−マリナーズ(00-03年)−横浜(04年) 90年ドラフト1位
背番号:22
説明不要の大投手。
98年の横浜37年ぶりの優勝の立役者と言っていいだろう。
だが、90年のドラフト1位とはいうものの、野茂の外れ1位指名だったことは意外と知られていない。
97年に38セーブの日本新記録、98年には22連続セーブの新記録と、前年の38セーブを大きく上回る45セーブをマーク。
通算229セーブ、269セーブポイントは後にヤクルトの高津が塗り替えるまでナンバーワンの記録であった。
2000年からは大リーグ、シアトル・マリナーズに在籍し、4年間で129セーブを挙げた。
コレクター気質を持っており、一説によればMLBに行ったのは選手のサインが欲しかったからとかいう、まことしやかな噂もあったりする。
モータースポーツにも興味があるらしく、TERM22というチームのオーナーとしてフォーミュラニッポンにも参戦した。
背番号の22は、2月22日2時22分生まれという2並びにちなんでいる。
2004年「家庭のため」と称して電撃帰国、横浜へ復帰。
この年は、横浜の親会社が大洋(マルハ)からTBSに移った時期で、赤字球団に超高給の佐々木が復帰できるのかどうか心配であったが、当時販売されていた「8時だよ全員集合」のDVDが6億円の売り上げを達成し、これを佐々木獲得のために充てるなどという話が当時のデイリースポーツに掲載されていた。
まあ、半分は冗談であることは間違いなさそうだが、「ドリフが佐々木を呼んできた」というフレーズは結構ウケた。
球威は全盛期にはるかに及ばないものの、抜群の制球力でセーブを稼ぎ、高津の国内セーブ記録にあと1と迫ったところで3連続救援失敗。
そのまま二軍落ちで登板は無し。シーズン終了前にひじの手術を行った。
2005年に数試合登板するも結果を出せず、引退を表明。8月の東北遠征で巨人の清原を相手に三振を取ったのが最後のマウンドとなった。
同年10月8日、横浜スタジアムで引退セレモニー。浜スタで引退のセレモニーを行う第一号選手となった。
91年、元アイドルの清水香織と結婚し2児を儲けたが、メジャーリーグ時代に榎本加奈子との不倫が発覚し離婚。そのまま榎本と再婚し1児を儲けている。
カードはベイスターズ時代になってから大量に作られている。大洋ユニフォームのものは7種発行されているが(トランプを除く)、中でもカネボウ93年のカードは出荷直前に大洋ホエールズが横浜ベイスターズになったために写真を差し替えられ、大洋ユニフォームのものは出回らなかったと言われている。筆者はヤフオクで入手したが、一時期カードショップ等でも法外な値段を付けて販売されていた。
MLBのものは多すぎて纏められないほどある。
2006.5.30改定