No.14 MITSUHIRO SEKIMOTO



タカラ78/53年
「バッティング投手から新人王」

関本 充宏

投手 右投右打

通算成績:27勝41敗1S 通算防御率:3.14 (実働8年)
最優秀防御率:74年 新人王:71年

経歴:糸魚川商-巨人(68年-75年)-太平洋(76年)-大洋(77-78年) 山下律夫とのトレードで獲得。
背番号:14


「せきもと・みつひろ」と言ってもピンと来ないが、「せきもと・しとし」といえばラジオの解説や少年野球教室のコーチでその名を聞いたことのある人も多いだろう。
その関本四十四である。
打撃投手としてドラフト10位で巨人に入団。3年間打撃投手を務めたあと、川上監督の目に止まり一軍に昇格。
昭和46年(1971年)の日本シリーズで阪急のエース山田と投げ合い、最後に王の逆転ホームランで勝利、その年の新人王に輝く。
が、関本の輝かしい野球人生はそこまでだった。

75年には新人定岡正二に背番号20を譲り、名前と同じ44番を背負う。
歯に絹を着せぬ解説からも分かるように、シーズン中から最下位を爆走する長嶋巨人に対して痛烈な批判を行い、その年の暮れ太平洋に放出(加藤初との交換)
太平洋で肩を壊して全く芽が出ず、我が大洋へ。
しかし、76年に2勝しか挙げられなかったとはいえ、貴重な戦力であった山下律を放出してまで獲得すべき選手であったかどうかは疑問。
まあ、このコーナーで話題を提供してくれたから良しとするか(泣笑)

こんなちんけな成績で、よく今まで野球界で生き残っていられたなと思うのだが、やっぱり川上哲治に私淑していたのが成功したのであろう。
90年、巨人のコーチに復帰したとき、日本プロ野球史上最大から2番目の「144」という背番号を背負った。(1位は阪急ブレーブスに在籍した明智球八(アストロ球団)の「10000」である(笑))

大洋時代のカードなんかあるまいと思っていたら、なんとタカラのプロ野球カードが存在した。
神様、仏様、タカラさま。
巨人時代と太平洋時代のものはカルビーのカードが存在する。

2006.5.30改定

CARDLIST
大洋ホエールズ時代
TAKARA
1. '78/53 #14
巨人時代
Calbee
2. '73 #029a(BAT)
3. '73 #029b(FLAG)
4. '73 #030a(BAT)
5. '73 #030b(FLAG)
6. '73 #180
7. '73 #181
8. '74 #160
9. '74 #161

10. '74 #264
11. '74 #265
12. '74 #338
13. '74 #365
14. '74 #367
15. '74 #485
16. '74-75 #642

17. '74-75 #708
巨人時代
BBM
18. '98 #G93
太平洋時代
Calbee
19. '76 #368
20. '76 #409
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