No.11 JOHN W. SIPIN



カルビー76年NO.402
「ライオン丸」

ジョン シピン

二塁手 右投右打

大リーグ成績:打率.223 2本塁打 51安打(実働1年)
通算成績:打率.297 218本塁打 1124安打(実働9年)
ベストナイン:72年、73年 ゴールデングラブ:72年、73年

経歴:パドレス(69年)−大洋(72年-77年)−巨人(78年-80年) 78年巨人に金銭トレード
背番号:38(72年)−11(73年-77年)


70年代最強の外人。
長髪と髭が特徴の、カッコイイ外人選手であり、緑とオレンジのユニフォームが良く似合った。
当時流行っていた特撮テレビ番組にあやかって、ライオン丸という仇名がついていたが、74年には真面目に登録名称をシピンからライオン丸に変えようとしたらしい。
結局当時は許可が下りなかったため断念したらしいが、実現していたらさらに人気者になっていたであろう。

長打力もあり、守備にも優れている大型二塁手である。2000年まで横浜に在籍していたローズの70年代版と思って頂ければ宜しい。

しかし、こんな逸材を、長嶋監督のラブコールに負けて、78年、なんと金銭トレードで巨人に放出してしまうというのは全くどうかしている。
横浜スタヂアム建設で金がかかったとはいえ、この放出は今でも納得できない。
79年は、大洋自身の成績も非常に良かっただけに(2位)、もしシピンが残っていたら優勝出来たんじゃないかなどと今でも思う。

巨人に移籍したら、「球界の紳士」とかいう噴飯もののエリート意識に負け、トレードマークの髭と長髪をばっさり切って別人になってしまった。
非常に暴力的にもなってしまったので、私にとって巨人のシピンは大洋のシピンとは別人である。
80年まで巨人に在籍。タイトルがベストナインとゴールデングラブだけというのがちょっと意外。

現在は、カリフォルニアにて、不動産会社社長として大成功しているという。2002年、サントリーモルツゲームのために来日。そのシェアーなバッティングは健在であった。

カルビーカードは74年から80年まで揃っている。
ファンなので巨人時代のカードも集めているが、やっぱり巨人のシピンは別人だよ〜。

2006.5.31改定

CARDLIST
大洋時代
Calbee
01. '74 #041
02. '74 #185
03. '74 #273
04. '74 #348
05. '74 #350
06. '74 #476
07. '74-75 #532
08. '74-75 #740
09. '75 #132
10. '75 #251
11. '76 #345
12. '76 #402
13. '76 #552
14. '76 #1362
15. '77 #66
16. '77 #137
17. '77 #237
巨人時代
Calbee
18. '78 #nno-1
19. '78 #nno-2
20. '79 #4-P
21. '79 #4-6-1
22. '79 #8-11
23. '79 #10-13
24. '80 #22

TAKARA
25. '78/53 #11
26. '79/54 #11
27. '80/55 #11

BBM・山勝他
28. BBM94 #542

(カード番号のないものとメンコは省略)

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