No.13 MASAO SATO



タカラ81/56年
「チャンネル捻ればタコ踊り」

佐藤 政夫

投手 左横手投左打

通算成績:14勝27敗8S 通算防御率:3.96(実働16年)
長嶋茂雄最終試合に登板。唯一の完封は大洋時代に記録

経歴:電電東北−巨人(70年:D1)−ロッテ(71-73年)−中日(73-80年)−大洋(81年-84年)−ロッテ(85-87年)
   81年中日から移籍(自由契約) 85年ロッテへ放出(自由契約)
背番号:13


81年土井大洋は投手陣の崩壊状態であった。
年間最多勝が遠藤様の8勝ではどうしようもない。しかもその遠藤様を前半戦はリリーフで起用するという土井のアフォさ加減にはほとほと愛想がついたものだ。
そんな中で、中継ぎ投手として中日から獲得した佐藤政夫が、ひとり大奮闘したのが81年後半戦の我が大洋であった。
左横手投げという変則左腕であったが、それ以上にワインドアップしてから球を投げるまでの一連の動作が妙にクニャクニャしていて、その動作から「タコ踊り投法」などというありがたくないニックネームを頂戴する。
それまでの渾名は「マック」などという顔に似合わぬカッコイイものであったが、これはロッテ時代にアメリカ1Aのローダイオリオンズに在籍していた時分の名残りであろう。

その81年、先発に転換してからローテーション投手の中軸として6勝をマークし、人生唯一の完封勝利も記録するが、変則投法といえども球自身は癖のない横手投げである。慣れてしまえば只のホームランボールにしかならない。翌年以降はまた中継ぎに逆戻りしてしまい、84年には自由契約でロッテに放出。

しかし、81年は本当にこの人を良く見た。
特に投壊状態だった前半戦の夜8時ごろ、テレビのチャンネルをTVKに合わせると、必ず大洋のピッチャー交代の場面だったりしていて、こいつがクニャクニャとタコ踊り投法でピッチング練習しているシーンだったりしたものだ。
調べてみたら81年は57試合登板という事で、登板率43.8%という事になるんだから2試合に1回は出ていた計算になる。
「チャンネル捻ればタコ踊り」というのもあながち誇張とは言えまい。

70年のドラ1で巨人に入団するも、その年の暮れには金銭トレードでロッテへ放出。翌年のシーズン半ばで中日と2対2トレードされるなど、員数外のダメ投手でしかなかった。
80年オフに獲得したときは、こんなに働くとはフロントはもちろんのこと、本人ですら思っていなかったであろう。
トレード下手で有名な大洋であるが、たまにはこういう身のあるトレードも出来たという事である。

変わったところでは、中日時代の1974年10月14日、ミスター長嶋茂雄の最後の試合で最後のピッチャーとして登板していた。
かの有名な「ミスターG栄光の背番号3」と表示された後楽園球場のスコアボードの左横に6番ピッチャー佐藤の文字が煌々と光っている。

カードはタカラから大洋時代のものが出ている。中日時代のものもあるようだが未入手。

2006.5.30改定

CARDLIST
大洋ホエールズ時代

TAKARA
'81/56 #13
'82/57 #13
'83/58 #13

中日時代

TAKARA
'79/54 #13

ロッテ時代

未発見。

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