No.66 TADANORI "TAKURO" ISHII



タカラ90年 #66
「勝利投手で2000本安打」

石井 忠徳(琢朗)

投手→内野手 右上手投左打

投手通算成績:1勝4敗0S 防御率:5.69 (投手実働3年)
打者通算成績:打率.283 99本塁打 2307安打 (2008年末現在)
最多安打2回(98,01)、盗塁王4回(93,98,99,00)、ベストナイン5回(97〜01)、ゴールデングラブ4回(93〜95,98)
経歴:足利工高−大洋(89年-92年)−横浜(93年〜08年)−広島(09年〜) 88年ドラフト外
背番号:66(89-92年)−0(93)−5(94〜08)
登録名:石井忠徳(88-91年)−石井琢朗(92〜08)


石井忠徳などと言っても誰も知らないだろうが、石井琢朗といえば横浜ベイスターズファンならずとも名前程度は知っているのではないだろうか。
その石井琢朗の本名が忠徳である。

88年のドラフト外で投手として入団。91年まで投手として在籍し、28試合に登板、1勝4敗という成績であった。
89年初先発の広島戦で初勝利を挙げ、90年にはイースタン最優秀防御率を獲得するなど、投手としても期待されていたが、91年オフに野手転向を志願すると共に、名前を忠徳から琢朗に改名。
92年から三塁手として1軍に出場し、翌93年、大洋ホエールズから横浜ベイスターズになった年、背番号を0に変更。2番打者としてレギュラー定着するとともに初の盗塁王を獲得。
94年に背番号を5に改番。96年にショート転向。97年には波留と入れ替えで1番打者に定着し、以後ベイスターズの1番打者として不動の位置を築く。
98年が自己のピークで、盗塁王、最多得点(球団史上初)、最多安打を獲得するとともに、ベイスターズの優勝にも大きく貢献した。
その後、ベイスターズの低迷とともに自己の成績も下がり、01年の最多安打以降、タイトルに結びつく記録は残されていない。

引退の噂も囁かれるようになった06年5月11日、2000本安打を本拠地横浜スタジアムで達成(対楽天戦)。1回裏先頭打者でいきなりの達成だった。
大洋としては松原誠以来の2000本安打達成であり、投手として勝利を経験しながら打者転向して2000本達成という意味では川上哲治に次ぐ快挙という事になる。

そんな素晴らしい記録を持つ石井だが、全記録が「横浜ベイスターズ」になってからのものであり、「大洋ファン」としては少々寂しい限り。

2008年のオフシーズン、FA宣言して銭闘開始する直前に、球団から戦力外通告を受けてしまう。アテが外れた石井は広島に移籍。戦力外なのでトレードにはならず、無駄な放出となってしまったのは残念な限りである。

なお、私生活の方もお盛んで、前妻はアイドルグループCoCoの瀬能あづさ。その後NHKアナウンサーの有働由美子との噂などもあったが、現在は元フジテレビアナウンサーの荒瀬詩織と結婚し、2児を設けている。

カードは横浜ベイスターズになってからのものばかりなので、大洋時代の写真がカードになっているもののみを掲載。

2006.5.13
2009.5.29改定

CARDLIST
横浜大洋ホエールズ時代
TAKARA
'90 #66
ホエールズトランプ
'90 #ハート6
'92 #ハート5

BBM
'03 #RE118
'03 #YB085

横浜ベイスターズ時代
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