外野手 左投左打
通算成績:打率.301 20本塁打 144安打 (実働1年)
経歴:カブス-大洋(83-84年)
背番号:20
1983年、夕飯を食いながらボーっとテレビを見ていた私は思わずメシをノドに詰まらせた・・・
「スクーターにもRZ神話が生まれた!!エアロスクーター!!ヤマハ、トレーシー!!」・・・って、こいつ大洋のトレーシーぢゃねえかよう。大洋の選手が大洋漁業以外のCMに出演するなんて、初めての快挙じゃねぇの???!!!
ヤマハのバイクショップには実物大のトレーシーの立て看板とかもあったんだよなあ。
貰っておけば良かった!!
時は変わって2001年、イチローの大リーグ移籍とともに、日本でも朝のニュースなどで大リーグニュースを頻繁に放送するようになった。
で、寝ぼけ眼で朝のスポーツニュースを見ていた私は思わずメシをノドに詰まらせた・・・
大リーグの名門、ロサンゼルス・ドジャースに見知った顔があるではないか。しかも監督だぞ。
そうなのだ、ドジャースの監督ジム・トレーシーとは、83年に来日して大洋でもそこそこ活躍したのであるが、翌年の開幕草々、代走を出された事に怒ってそのまま帰国してしまった、あのトレーシーなのである。
関根とトレーシーの仲の悪さは有名だったようだが、CMなどに起用されて、一流プレーヤーと勘違いしてしまったトレーシー君には代走を出されるなんぞ納得いかなかったんだろうねぇ。
2002年、引き続きドジャースの監督を継続中。石井や野茂の快投に満足げなトレーシー監督って、実に絵になるよなあ!
ある意味で、大洋の出世頭なのかもしれません。
そんなわけで、大洋でのプレーは1年と2試合しか見られなかったのですが、大きなストライド(足が長い)でバットを振りぬく姿は結構サマになっていました。打率も3割打てたし、84年にはロッテからレオンも騙し取ったし、前年3位から今年は優勝か?!と気合を入れた矢先の出来事でガックリ来たものです。
ジェームスに続いて金髪の大型左打ち外国人選手を不可解な理由で失った大洋は、その年最下位に転落。関根監督はクビ。後任は近藤サダオ。
関根は大洋ナガシマ政権への橋渡し役じゃなかったのか〜!!!
そんなトレーシー君のカードですが、大リーグでの現役時代はもちろん、大洋時代も83年のカルビー、タカラでちゃんとカード化されています。
監督のカードはMLBでも少ない方なのですが、さすがは名門ドジャース、見事にトレーシー監督のカードがありました。
ちなみに、トレーシー君がCMに出たヤマハのトレーシーというスクーター、今でも結構人気のある機種なのだそうです。
2006.6.2改定